第一次的現実と第二次的現実。

こうしてブログを書いている傍らにあるTVからは、

ヨーロッパのコロナがヤバいってな情報が流れているのである。

で、ワタシの脳みそは、ブログを書きながら、

(まだコロナはヤベーのかね・・・。 )なんて思ったりしてるのである。

つい最近、知ったのであるが、どなた様が考えたのかは知らねーけれど、

このブログを書いているという現実を第一次的現実、

TVの情報を見て聞いてるという現実を第二次的現実、

と、言うそーである。

現実の世界が2つあるということである。

今、ワタシの脳みその中では、

ブログを書くという第一次的現実の思考と、

TVの情報に対する第二次的現実の思考が行われているのである。

これをもう少しわかりやすくすると、

目の前のパソコンを使いながら思考を働かせて指を動かしている・・・

これが第一次的現実で、

TVの中の人間たちの話を聞いて思考だけを働かせている・・・

これが第二次的現実ということである。

もっとわかりやすく言えば、

今のワタシの第一次的現実の世界には、コロナの話は皆無であるから、

コロナに対する思考は起こりえないのであるが、

TVという第二次的現実の世界にはコロナが存在するから

コロナに対する思考が起こるわけである。

で、(まだ、コロナはヤベーのかね・・・。)と思考が働いた瞬間、

第一次的現実であるブログを書くことが疎かになって、

コロナを考えるという、第二次的現実の世界へ脳みそは働き出してしまうのである。

と、現代人は、この第二次的現実に生きてる人が多いということだそーである。

まぁ、こんな難しい言い方を辞めれば、

目の前にある現実に集中してない。

ということである。

TVなどの映像の世界や、雑誌や小説などの活字の世界に

思考や感情移入をしやすくなっていて、

目の前に起こってもいないことに思考や感情を働かせているということである。

誰しもの人生は、運と思考と感情と行動で創られていくのであるから、

第二次的現実に思考や感情などを働かせても、

第一次的現実には何も生み出さないということになるわけである。

空手の稽古で例えれば、

正拳突きを良くしようと稽古をやっている最中に、

(今日は稽古の後、何を食べようかな。)とか、

(廻し蹴りも上手くなりてーな。)とか・・・

そんなことを考えながら、いくら突きの練習をしたところで、

正拳突きが良くなるわけねーのは誰にも明白である。

逆に、そのやってる正拳突きの一発一発に集中しながら、

(どーしたら速く突けるかな。)とか、

(脱力と締めはこれでいいだろーか。)とか・・・

目の前の行動に集中して思考を働かせれば、当然良くなっていくよーなもんである。

この第一次的現実と第二次的現実を考えた御方は、

「汗のにおいのする思考をしろ。」

って仰ったそーである。

エエ言葉☆やね。

で、このブログからは・・・

汗のにおいがするだろ?

くっさー。てか。

咲 心太郎

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