「念」と「氣」。

ワタシのお店は亡き親父がやり始めてから50数年が経ち、

ワタシの空手は30年になるから、

このお店や空手のことで、

「年季が入ってるね。」

と、ちょいちょい言われるのである。

まぁ、お店の方で言われるときは、古くてボロくなったモノを言われるけれど、

空手で言われるのは、長年やってきたからイイ意味で言われるのである。

20代の頃は今ほど本気では打ち込んでなかったけれど、

30歳からは異常なくらい打ち込んできたわけで、

数えきれないほどの突きや蹴り、そして組手・・・

そりゃ~、自分でも「年季が入ってるな。」と思うのである。

で、ここ10年くらいは「アイキ♡」を知ったから、

「氣」という、ホントにあるんだかないんだか、そんなわけのわからんもんを追求し、

こちらの方も「年季が入ってきたなー。」と、実感する今日この頃である。

マジで、「氣」ってあるんだよー。

まぁ、興味のない人にはどーでもいいけどね。

変人のワタシは、このわけのわからん「氣」という存在を知り、そして信じ・・・

そんで、今では少々使えるよーになったのであるが、

このわけのわからん「氣」を使うには、自分の「思い」を「意識」で使うという、

わけがわからんも知れないが、意識操作の技術が要るのである。

で、この「思い」が「氣」を通じて相手に伝わり技になるのである。

相手を「崩した」と思えば崩れるし、

相手を「癒した」と思えば癒せるし、

相手を「痛くした」と思えば痛くなるし・・・

いろんな自分の「思い」を「氣」というモノを使って、

相手に伝えることが出来るみたいである。

ちなみに「思い」が伝わるのであって、「考え」ではないのである。

この違い、わかるかな。

で、「氣」というモノを想い続け、

「氣」を使って「どーしたいのか?」をリアルに思い、

「氣」の通り道である「氣道」を育てる稽古をこの10年は毎日やっているのである。

そんで、いつの間にやら、

その稽古の繰り返しの「思い」が、「念」という力に変わり、

この「念」が「氣」に通じるようになるわけである。

で、

「念」と「氣」が合体して・・・

「念氣が入る。」

何事も、思い続け、やり続け、年季を重ねれば・・・

「年季が入る。」ではなくて、必ず「念氣が入る。」のである。

その「念氣」が入ったモノは、自分の宝物☆になるのである。

そんで、ワタシの空手は、ワタシの宝物☆なのである。

で、咲心館で、この宝物を大放出♪して、一人でも多くの人に喜んでもらえることが、

ワタシの幸せなのである。

そんなん「要らんわい。」って言わんといてねー。

ってか、そー言われんよーに、

まだまだ「年季」をかけて「念氣」を入れるのである。

咲 心太郎

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