素敵な未来へ・・・

今日の午後は久しぶりに

合気道開祖・植芝盛平先生の「合気神髄」を読んだ・・・

「ジャグラーで喰えんかな?」

”スロプロ”を目指すべくやって来たが

先月は

10勝7敗の成績を残せたけれど

収支は

マイナス1万3千円!

どーいうこっちゃ?

である。

いよいよ

ジャグラー軍資金も底を突きそーで・・・

「やっぱ、バイトをしなアカンのかな・・・」

って

今日も悩みながら過ごしていたのであるが

そしたら

ふと

「合気神髄」を読もう!

なんて浮かんで来たから読んでみたのである。

30歳の時に

ブルース・リーの「ストライキング・ソーツ」ってな本を読んで

それから

いろんな本を読むよーになって

35歳くらいの時に

この「合気神髄」に出会って

”神”って何?

”合気”って何?

武道が”愛”ってどーいうこと?

まぁ

当時は

荒くれ者で乱暴者の空手家だったボクは

めちゃくちゃ衝撃を受けて

それで

その日から

神・合気・愛

ってなモノを探す旅が始まったわけである。

「日月神示」ってな本に辿り着いて

どーやら神は実在するな・・・

その御力の働きが合気となり

それが愛なんだな。

なんて

アタマの中だけの答えが見つかって・・・

それを現してる人間なんているのかよ!

って

悶々と過ごしてたら

そしたら

保江先生の本を見つけて

会ってもらえることになって

「ホントに居た!」

「ホントに在った!」

保江先生は

ずっとボクが信じ求めてた

神・合気を体験させてくれて

「愛魂…愛なんですよ。仲良くしましょ。」

って教えてくれたのである。

そのおかげで

自分なりの愛は

なんとなくわかったけれど

やっぱ

生きてると自我ってやつがおるからね

その愛を忘れそーになってしまうんだ。

この世では

愛♡と、お金☆と

どっちが尊いんだ?

ってねw

愛♡はお金☆を運んでくれんのかな・・・

ってか

ボクはお金☆に対する愛♡が足りんのかな?

まぁ

空手のためなら他は何にも要らん!

って生きてたのが失敗だったよーだ?

 

数ページほど読み始めると

あれれ

何でだろ?

涙が出てくるじゃないの!

これまでに

何十回も読んだ本だから

別に感動してるわけでもないし

昔よりは

その内容の意味がわかるよーにはなったけれど

今日も読んでも

まだまだわかっちゃいねーし・・・

なのに!

胸やお腹の中が静かにざわつくよーな感じになって

涙が出て来るんだ。

何で?

けど

植芝先生が本の中で

「闘わず争わず和合する。」

「仲よくする。」

って

繰り返し言ってるのだが

それが

やたらと響くんだ。

オレ

まだまだ

闘い争う心があるよな・・・

って

何か胸が痛くなる。

何だろ?

この涙は?

これは

経験が無い。

「禊ぎの道じゃ。」

この言葉も繰り返してる・・・

魂を磨け!って、もちろん魄も。

魄の上に魂を置き

魂に魄が従うのだ・・・と。

まだ

よくわかっとらんね。

けど

やっぱ

この本の中で一番響くところは

今も昔もずっと同じところ。

ボクは

この本の”ココ”を目指してたんだった・・・

まだ到達してねーのに

忘れるんじゃねーよ!

ソレを過去ブログにも書いたけど

もう一度書くね。

 

「合気神髄」34ページ【愛は争わない】

合気道の極意は、己れの邪気をはらい、己れを宇宙の動きと調和させ、

己れを宇宙そのものと一致させることにある。

合気道の極意を会得した者は、宇宙がその腹中にあり、

「我はすなわち宇宙なのである。」

そこには速いとか、遅いとかいう、

時間の長さが存在しないのである。

正勝、吾勝、勝速日とは、

宇宙の永遠の生命と同化することである。

では、いかにしたら、己れの邪気を払い、心を清くして、

宇宙森羅万象の活動と調和することができるであろうか。

それには、まず宇宙の心を、己れの心とすることだ。

宇宙の心とは何か?

これは上下四方、古往今来、

宇宙のすみずみにまで及ぶ偉大なる「愛」である。

 

愛は争わない。

愛には敵はない。

何ものかを敵とし、何ものかと争う心は

すでに宇宙の心ではないのである。

宇宙の心と一致しない人間は、

宇宙の動きと調和できない。

宇宙の動きと調和できない人間の武は、

破壊の武であって真の武ではない。

真の武道には敵はいない、

真の武道とは愛の働きである。

それは、殺し争うことでなく、

すべてを生かし育てる、生成化育の働きである。

愛とはすべての守り本尊であり、

愛なくばすべては成り立たない。

合気の道こそ愛の現れなのである。

だから武技を争って勝ったり、

負けたりするのは真の武ではない。

真の武は、正勝、吾勝、勝速日であるから、

いかなる場合にも絶対不敗である。

すなわち、絶対不敗とは、

絶対に何ものとも争わぬことである。

勝つとは己れの心の中の

「争う心」に打ち勝つことである。

己れに与えられた使命を成しとげることである。

 

「争う心」に負けるとこやった・・・

ふと

こんな本を読む気にされるのも

宇宙の心「愛」の働きだろーか・・・

この道を

ナイハンチ道として

ボクはやって行く。

だってさ

保江先生と新里先生は

この道の実在を

ボクに示してくれたんだ。

この道に興味のある人は

共に歩んで行こう。

素敵な未来へ…

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