夏の甲子園も中止になるようだけれど、
甲子園を目指して一生懸命にやってきた高校球児たちは 失意のドン底だろーね。
また報道ではあまり取り上げられない他の部活動の学生さんたちも同じだろーね。
一生懸命にやってきた人間ほど、その失意は大きくなるのである。
でも、人生とは、誰にも「諸行無常」なんであるのだから仕方ねーのである。
必ずしも、「がんばったら上手くいく。」なんてことはないのである。
ま、長い人生においては、まだまだたくさんの「無常」がお待ちかねなのである。
で、今は失意のドン底でも、生きていれば、時間が過ぎれば、どーにかなるのである。
明けない夜はないのである♪ 陽はまた昇るのである♪
ただ、失意のドン底の日々と、これからの日々をどのような心で過ごすかで、
その未来が大きく変わるのである。良くもなるし、悪くもなるのである。
良くなってもまた「無常」は起こるし、悪くなってもまた「無常」は起こるのである。
で、今回の悲劇にあった子たちに同情する気持ちも人としては大切なんであるが、
同情して慰めても、テレビやネットでワーワー騒いでも、何にもならんのである。
と、言って、傷ついた思春期の心たちを放っておいてもイカンのである。
「悲劇のヒロイン」という、現代人の大好きな心が育ってしまうのである。
正確には「自己憐憫」という、やっかいな心である。
この心を手にして育てた者は、不幸な人生へまっしぐらである。
なので、子供が悲劇な心になってるココが、親や指導者の腕の見せ所なんである。
ココで、ちゃんと心の指導が出来れば、
今回の悲劇にあった、この子たちは、失意の度合い、心の傷が大きい者ほど、
将来、その心は逞しくなり、大きく輝けることになるのである。
「無常」を喰らった悲劇の心は、喜劇の心になるのである。
「悲劇のヒロイン」から「喜劇のヒーロー」に大変身♪である。
そのために「諸行無常」が起こり、喜劇の心を大きく育てるのである。
なので、どんな「無常」にも負けず、またがんばるのである。
そんな「諸行無常」を先にたくさん経験してるのが大人なんだから、
それをちゃんと教えてあげるのが、大人としての役割である。
そして、その教えを学びながら子供たちはより良く成長するのである。
そんな子供や若者たちが、いつか「喜劇のヒーロー」となって、
より良い社会を創ってくれるのである。
けどなぁ、今は「諸行無常」に腐る「悲劇のヒロイン」の大人が多いんだよなー。
「自己憐憫」・・・上手くいかない自分を自分で憐れんでイジけるヤツばっか。
あ、それ、オレやん。
じゃ、なんで書いてんの、これ。
なんでだろ。
咲 心太郎
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