爪が伸びっぱなし。

道場稽古が休止になっておよそ1ヶ月が経ったけれど、

道場稽古がない日々なんて、空手の先生になったここ20年で初めてのことである。

で、ワタシの爪が伸びっぱなしである。

道場稽古があるときは、組手で爪が剥がれたり、相手に切り傷を負わせないようにと

こまめに爪を切るのだけれど、稽古がないとめんどくせーから切らないのである。

このように空手次第で、ワタシという人間は良くもなるし悪くもなるのである。

こまめに爪を切った20年も、たった1ヶ月でこの有り様である。

もともと悪として生まれてきたので、空手が無くなれば悪に戻るだけである。

でも、やっぱり悪には戻りたくないので、一人稽古には励むのである。

真の善に向かうのが、ワタシという、悪で生まれた人間の使命なんである。

で、ワタシは真の善とは何なのか?と空手修行で探しているのである。

そんな空手はワタシを制しながらも育て、守ってくれているのである。

その空手によって、自分を知らされ、自分を創って生きているのである。

つまり、今のワタシは創りモノなんである。

まぁ、すべてというか、ほとんどの人が創りモノなんであるが、

ほとんどの人は自分が創りモノだとは気づかないでいるのに対して、

ワタシは空手の修行を通じて意図的に自分を創っているのである。

「心技体」、このすべてを自分が好む自分へと創り変えているのである。

「心技体」、この3つは密接に繋がっていて、

心が変われば技も体も変わるし、技が変われば心も体も変わる・・・

なので、心、体、技、それぞれの自分の弱点を見つけて稽古をやるのである。

どれかの弱点を一つでも克服すれば、残りの2つも良くなるのである。

だから、多くの弱点を見つけるほど、良くなる可能性は大きくなるのである。

で、その弱点を克服するように稽古修行に励むのである。

こうして、自分が望む、より良い自分を創っていくのである。

また、逆に、どれか一つでも、悪くなったところが出来ると、

残りの2つも悪くなるのである。

例えば、体が筋肉痛になっただけでも、痛さで心は気分が良くねーし、

動きも固くなるから技も落ちるのである。

なので、気分良くやって、体をほぐし、動きが良くなるように稽古をするのである。

この繰り返しが「心技体」という、自分を育てて、良くなるのである。

「心技体」のバランスが大事である。

「心技体」がバラバラでは、がんばってもあまり良い成果は出ないのである。

若い人は、若いなりの、年を取ったら、年を取ったなりの・・・

自分なりの「心技体」のバランスを考えるのである。

で、爪を切らねーワタシは、心が崩れ出している証拠だから、

今日はさっそく爪を切るのである。

パチン。

これで良くなるのである。

ホントかよ。

咲 心太郎

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