咲心太郎の「丹田」。

こうして毎日ブログを書いているけれど、

読んでくれてる相手も見えず、誰の感想も反応もわからないし・・・

けっこう続けるのが大変なんである。「なんのために書いてんだろ。」って。

で、ときどき、「もー書くの辞めよっかな。」と思う時もあるのだけれど、

「365日、とりあえず毎日書く!」と誓った自分との闘いなわけである。

って、ワタシが娑婆世界にいる存在価値を確かめるための咲心館なわけである。

もしも、その存在価値がなくなったとワタシが思ったら、街を離れて、

嫁ちゃんと2人で「ポツンと一軒家」で暮らすのが、もう一つの夢なのである。

でも、嫁ちゃんは、「山よりも街がイイ♡」そうなので、まだまだがんばるのである。

それと、やっぱり空手が大好き♡なので、まだまだがんばるのである。

そのワタシの空手は、「とても良い空手☆」で存在価値があるはずである。

と、自分に言い聞かせて、今日もがんばって書くのである。

で、そんな昨日の夜も一人稽古に励んでいると、

「ブログを読んで稽古をしてるんだけど、わからないことがあって・・・」

と、とても稽古に熱心な60歳のお弟子さん、Mさんから電話である。

こんな時、ホントに救われるのね、こういうの。

これまでにも、このMさんの熱心さに何度も救われてきたワタシの空手なんである。

『Mさん、いつもありがとう。そのままで、あと40年!がんばってくださいね♪』

あと40年もやれば、ワタシと一緒に「伝説の空手家たち☆」になるだろー♪である。

40年後は、Mさんが100歳、ワタシは90歳・・・どんな空手家になってんだろーね。

咲心太郎よりも、Mさんの方がスゴくなってるかもねー。

ホント、楽しみである。

で、昨日、Mさんに教えたことがネタで浮かんだので今日のブログに書くのである。

ワタシの稽古に来たことがない人は、よくわからないかも知れないけれど、

そこは「ごめんね。」である。

人間には「丹田」というのがあって、とてもパワーがある場所なんである。

しかし、人体を解剖しても「丹田」という臓器のようなモノがあるわけじゃないから、

その存在を掴むのは難しく、また信じられない人も多いのである。

で、「丹田」がちゃんと機能していない人が多くて、ホント、もったいないのである。

エネルギー発生場とも言える、この「丹田」は誰にも存在するのである。

また「丹田」にもいろいろあって、上、中、下、表、裏・・・

ま、究極的に言えば、体全部が「丹田」なんである。

が、空手では、特に下、「臍下丹田」を使うのである。

「臍下丹田」はパワーの源と言えるくらい、そこから出る力はスゲーのである。

で、だいたいは、表…ヘソの下辺りの「表丹田」を意識して稽古するのであるが、

裏…腰骨に背骨が乗ったところ辺りの「裏丹田」も意識してやるのである。

ここを見つけたのが咲心太郎のスゲーところなんである。自分で言うな。

で、それを簡単にブログで教えちゃうところもスゲーのである。

腰骨に背骨が乗っかったようなイメージで「重み「を感じる姿勢を見つけるのである。

この重みを見つけると、姿勢も良くなり立ちが凄く安定するのである。

通常は姿勢を良くしようとすると、体のあちこちが緊張して固くなるのであるが、

重みがあるということは、姿勢が良くても体は緩んでいる状態なんである。

そんで、その重みを保ったままで動く。これだけである。

「臍下丹田」が「表裏一体」になって動くと、おったまげたパワーが出るのである。

その存在と感覚を掴むまでには一苦労、二苦労、三苦労・・・と、あるだろーが、

あきらめず、コツコツと稽古に励み、その感覚を掴めば、

「丹田」から動く日常生活さえも稽古となり、どんどんパワーが大きくなるのである。

で、お箸を持つことすら稽古になるのである。

また、「丹田」から動くのに慣れると、裏と表を使い分けたり、

手や足で、いろんな力を自由に使えるようになるのである。

で、お箸を使う力ですら、技として使えるのである。

で、その「丹田」の力を知る、簡単な方法が、

椅子に腰かけて、腰骨に背骨が乗っかったような重みを感じた姿勢を作り、

その重みを完全に保ったまま、椅子から立ち上がるのである。

これと、重みを感じないで普通に座って立った時の違いを知るのである。

この違いがわかった人は「丹田」が在るということである。

その感覚を意識しながら稽古をやれば、どんどん感覚がわかってくるのである。

で、なんとかこの感覚とパワーを掴んでちょ。

ご健闘を祈りまーす。

ちなみに昔の武士は、この「丹田」で座っていたから、

急な戦いが起こっても、体勢を崩すこともなく、

瞬時に立ち上がって戦うことが出来たのである。

で、ワタシは「丹田」が据わっているから、

どんなヤツにも、そー簡単にはビビってやらねーのである。

「丹田」が据わり、「丹田」で座る。

そんなワタシと争ったら、だいたい、相手がビビるのである。

過去にビビって泣いちゃった大人も何人かいるんである。

でも、もー、どんな相手もビビらせたらアカンのである。

また神ちゃまに叱られちゃうのである。

ワタシのスゲー「丹田」も、神ちゃまには敵わねーのである。

で、今は、仕方ねーから、争ってくるヤツには、ビビったフリをするのである。

これも「丹田」の為せる技である。

「日常、之、稽古修行也」。

咲 心太郎

コメント