先日、お店に来た同級生が、
「咲心館のユーチューブ観たよ。」
そうなの。いや~嬉しいなぁ。ありがとう。
と、思ったら、
「10何本かあったの、全部観たよ。」
え!もう40本くらい上げてるんだけど・・・。
「合気のあれ、わかる、わかる、あーなるんだよねー。」
え!やったこともないのにわかるんだ・・・。
ま、51歳にもなれば、連れと言えども社交辞令ばっか、こんなもんである。
「社交辞令の上手い大人」と付き合うのは苦手な咲心太郎なんである。
で、こんなのがイヤだから、空手に来てるお弟子さん以外には、
ユーチューブをやり始めたことを言わなかったのであるが、
前回来たときに、話の流れでつい話しちゃったワタシがバカだったのである。
「もう40本くらい上げたからさ、また観てよ。」
と言うと、
「わかった、わかった、また観るわ。」
と言って帰ったけれど、観るはずがねーのである。
合気どころか、武道すらやったことねーのに、
何で合気がわかるんだろーね。
あ!ワタシが過去に何度か合気の話をしたからか。
そんで、知ったかぶり、わかったフリ・・・
こんな人間が多いのである。
昨日も「合気のお遊び♪」と称して、
お弟子さんたちと合気の稽古をやったのである。
で、昨日は少人数だったから、ワタシが相手をしたりしながら、
合気の感覚を伝えたりして、みんなとやったのであるが、
その微妙で繊細な感覚の合気にはみんな手こずるのである。
上手く出来たかと思えば、すぐにまた出来なくなったりするし、
上手く出来るようになっても相手が変わると、また出来なくなったりするのである。
で、上手く出来た時と、出来なかった時の自分の違いすら、まだまだ掴めないのである。
そんな合気を話を聞いただけで、動画を観ただけでわかる?出来る?
な、わけなーだろ。
まぁ、ワタシの周りだけかも知らんが、
今の世は、何でも知ってるかのように振る舞うヤツが多いのである。
こんな人間に合気なんかわかるはずがねーし、出来るわけもねーのである。
で、合気なんか出来なくてもどーでもいいし・・・
表面とは違う、その黒い腹の中ではそんな風に思ってるのが見え見えである。
ま、いくら連れでも、こんな輩には、もう二度と合気の話なんてしないし、
今後は合気を味あわせてもやらねーのである。
ワタシには「合気」と「アイキ♡」があって、
「アイキ♡」の一部を「合気」として技にして指導しているのである。
この「合気」の稽古を積んでいくと「アイキ♡」に辿り着くと思うからである。
ワタシはお弟子さんには、みんなこの「アイキ♡」に到達して欲しいのである。
この「アイキ♡」は、身体は一切関係が無くて、心と意識操作のみである。
「心と意識操作だけで相手と調和する」のである。
この「アイキ♡」を稽古の時に技として使うことはほとんどなくて、
基本稽古をみんなでやってる時とかにこっそりとやっているくらいである。
また、日常の中で、何か悩み事の相談に来た人と話してる時にこっそりとやるのである。
この同級生にも、これまで、仕事や人生で悩んで落ち込んで話しに来たときに、
こっそりと「アイキ♡」をかけて、何度か相手をしたのである。
で、いつも知らない間に気分が良くなって帰ったのである。
って、知らんかったやろ、バ~カ。
何が、「合気がわかる。」だよ。
自惚れちゃ~イカンのである。
もう、二度と喰らわせてやんねーのである。
この世には、人間には理解しがたい「力」が在り、働くのである。
その一つである「アイキ♡」の「力」は、苦しんだ心を助ける働きがあるのである。
何で?そんな「力」がワタシに働くよーになったのかは知らねーけれど、
ま、ワタシの師匠さんからいただいたのは間違いねーし、
ワタシ自身の潰れる寸前の壊れた心がこの師匠さんの「アイキ♡」によって救われたのである。
なので、ワタシはこの「力」を育てることしか考えてねーのである。
で、その土台が咲心館なんである。
そして「アイキ♡」を広めたいのである。
って、「アイキ♡」なんて要らん!ってか。
あっそ。
これからの世は要るんだゾ。ってお告げだゾ。
オマエに来るお告げは当てにならん。
そーだった。
咲 心太郎
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