あの日の「謝罪」と「感謝」を胸に生きる・・・

51歳にもなったのに、毎日を「空手、空手」と生きていると、

未来への夢ばっかが大きくなって、大切な「何か」を忘れちゃったりするのである。

ワタシの大切な「何か」とは、「人は皆、死ぬ」ということである。

好きな人であれ、嫌いな人であれ、そして自分さえも、

いつか必ず死ぬのである。

だから「愛♡」が在るのである。

 

ワタシは20歳の時に父親を亡くしたのであるが、

当時は反抗期の余韻と、なかなかの荒くれ者の親父だったので、

そんな親父のことが大っ嫌いだったワタシは、

親父が亡くなる直前の時には、

「もう、これで、親父からイヤな思いをさせられないで済むな。」

と、思ったし、

いざ、死んだ時にも、頭ではそう思ってるのに・・・

どうしーよーもないほどの涙が出た・・・

悲しいとか淋しいとも思ってないのに、

病院へ駆けつけた時から葬式…そして火葬が済むまで、

子供のように泣きじゃくった・・・

マジで、どんだけ泣いたんだろ・・・。

でも、荒くれ者の親父がいなくなって

やっぱり、ホッとしてる自分がいた・・・

 

そんな死後1週間ほど経った頃だったか、

急に意味もなく、大きな不安な気持ちに襲われたのである。

「何だ、コレ。」

その理由のない不安に押しつぶされそうになった時、

突然、死んだ親父の顔が浮かんだのである。

あ!

ワタシの思考は親父がいなくなったことを喜んでいたけれど、

ワタシの心はワタシの知らないところで悲しみ、

そして

大きなモノを失ったという、これからの不安を感じていた・・・

で、生前の親父に対してやった悪態の数々や

親父にしてもらったことの数々が

これでもか!ってくらい次から次と浮かんできて、

「謝罪」と「感謝」の念でいっぱいになってまた泣いたのである。

 

で、その日から、

神も仏もご先祖も…何も信じないワタシであったけれど、

家の仏壇にだけ、朝起きた時と、夜寝る前に

手を合わせるようになったのである。

死んだ親父に向かって

「おはよう」と「おやすみ」を言うのである。

もちろん、「返事はない」のである。

当たり前である。

 

ある方々が言うように

本当に死んだ人は「あの世」に存在しているのだろーか・・・

そして、ワタシを見守ってくれているのだろーか・・・。

 

もしも、存在しているとしても、これまで一度たりとも、

「この世」のワタシには見えないし聞こえないし・・・

もちろん、触れたこともない。

 

そしてまた、先祖たちは守ってくれるというけれど、

ワタシの苦しい時に現れて助けてくれた先祖はいないし、

いつも助けてくれたのは、「今、生きている人」だけである。

 

それでも、

今日も、仏壇に手を合わせて「おはよう」って言うのである。

そんな今では神も仏も先祖も、みんな信じるのである。

きっと、どこかで見てくれてる気がするのである。

なので、

あの日の「謝罪」と「感謝」を胸に生きる・・・

神や仏や先祖…そして、

死んだ親父に助けや救いを求めて手を合わせるんじゃなくて、

 

どーだ、ちっとはマシなオレになっただろ?

 

って、見てくれてるかな。

 

あっちでもやっぱり麻雀バカかね、あの親父は。

で、その息子は空手バカだという。

ってさ、

2人とも、ちゃんと働けよ。

 

咲 心太郎

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