人気がある俳優さんが30歳という若さで死を選んだようで・・・
ルックスも良くて、芝居や歌と、何でもこなしていたそーで、
ワタシら凡人からしたら「羨ましい限りの暮らしを送ってるんだろーな。」
なんて思うけど、やっぱりどんな人にも悩み苦しみがあるんだね。
でね、この7月という月は、過去に同じような形で、
ワタシの大切な人が2人も亡くなっているから、なんともイタい話である。
まぁ、そんなワタシもこれまでに一度や二度ならず、
「死にてーな。」と思ったことは何度もあるけれど、
ワタシは今もこうして生存しているわけである。
そんで、「死にたい」と思って死んじゃう人と、死なない人の違いは何だ?と、
あれこれ学びながら考えながら生きてきたのである。
人間として生まれてきた以上、誰しも必ず死ぬのである。
この「死」という存在は、「生」と背中合わせのようにピッタリと寄り添っていて、
「死」と「生」が別々に存在しているのではないのである。
てなわけわからん話は止めて・・・
他人を殺すのは重罪であるけれど、自分を殺すのも重罪である。
必ず死ぬように神が創ったのであるから
神に召されるまで、命を絶ってはいけないのである。
他人を殺すのも自分を殺すのも、神の意志に逆らうことになるのである。
と、わかっていても、苦しくてどーしよーもない人がいるのである。
だから、
神や仏の教えがちゃんとあるのである。
その教えでは、
「死ぬまで守ってあげる。」
と、神や仏は仰られているのである。
「アナタのそばにいつもいるよ。」
とも、仰られているのである。
その神や仏は、人間の心、精神、意識に繋がっていて、
その人間の心、精神、意識によって神や仏として存在しているのである。
つまり、人間がいないと神も仏も存在しないのである。
「神人一体、仏人一体」
なんである。
この自分と共に在る神や仏を昇華させるのが人間として生まれた使命なんである。
人生でいろいろなことが起こり、いろいろな感情が起こり・・・
その人間の心、精神、意識を通して、神や仏も学び、昇華するのである。
神や仏という姿かたちがないモノは、
姿かたちのある人間を使って学んでいるのである。
だから、その使命を果たすまでは、どんなことがあっても
学び舎であるワタシら人間を、その神や仏は守ってくれるのである。
でも、昇華の大きい神や仏がついている人ほど、
昇華に必要な「苦しみ」というモノも大きくなるのである。
なので、「苦しみ」に負けず、どんな困難にも耐え忍び、
心と精神を逞しくして、「ただひたすらに生きる」のである。
でもね、人生の「苦しみ」に負けちゃわないように、
その人生の中に「歓び」というモノも、神や仏は与えてあるのである。
それを見つけようね♪
咲 心太郎
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