空手狂 狂祖 咲心太郎の「神社と神さまの話」。

ブログを書こうとしたら、お弟子さんから

「稽古再開が近そうですが、その前にみんなで白山ククリヒメに参拝しませんか。」

と、ラインが来たのである。

突然、こう言ってきてくれるの、めちゃくちゃ嬉しいのである。

かなりの「白山LOVE♡」で生きてる、咲心太郎なんである。

その咲心館は白山ククリヒメちゃま☆に見守られながら歩んでいるのである。

そのククリヒメちゃま☆も、大喜びである。

神を喜ばせるのが人の道であり、咲心館なんである。

「相乗りはマズいから、どこかで集合して行きましょう。」

と、すぐ次のラインが来たのである。

ん!?そーだった、まだコロナが・・・。

ククリヒメちゃま☆が御座します白山比咩神社はお隣の石川県にある。

で、何人のお弟子さんが来るかはわからないけど、

この時期に福井ナンバーが何台も連なって石川県内を走ったらヤバくね。

ということで、残念ながら今回は延期にしたのである。

で、今日は、空手狂 狂祖 咲心太郎の「神社と神さまの話」である。

もちろん、空手に狂ったワタシ個人のオリジナルということである。

ワタシは30代前半に合気道開祖 植芝盛平さまの「合気神髄」を読んだ数年後、

それまでの絶対なる無神論者から、完全なる有神論者へと変貌を遂げたのである。

「神は御座します。」神は存在するのである。

ま、いてもいなくても、どっちでもいいんだけどね。

でも、ワタシの空手人生には、いてもらわないといけないのである。

で、その第一歩が日本三大霊山の一つ、白山への登山だったわけである。

それからは毎年、神との出会いを求め、年に2,3回くらい白山に登ったのである。

その当時は、白山にはイザナミ神や大国主命がいると思って登っていたのであるが、

ワタシが出会ったのはククリヒメちゃま☆だったのである。

そのククリヒメちゃま☆の存在を知ったのは、去年の12月である。

それも、白山で!ではなく、白山比咩神社で!だったのである。

去年12月9日のまだ暗い早朝、マイナス気温の誰もいない白山比咩神社の奥宮で、

出来立ての咲心館の看板を立て祀り、真っ新の道着姿で空手の型を奉納したとき、

あたたかいその存在を強烈に実感したのである。

最初の白山登山の時からワタシを見守り、力を与えてくれていたと実感したのである。

それまでのいろんな記憶が蘇り、それらがみんな繋がったのである。

で、ホントにあたたかいのである。

そんな白山登山を始めた数年後から、ワタシは神社も参拝するようになったのである。

まずは地元の三国神社と、福井の一宮の気比神宮から始まって、

伊勢神宮、熱田神宮、大阪サムハラ神社、岡山サムハラ神社奥宮、天河弁財天神社、

大神神社、玉置神社、若狭神宮寺、若狭彦神社、若狭姫神社、白山中居神社、

雄山神社、金剣宮、剣神社、瀧原宮、気多大社、越知神社、白山平泉寺と、

白山比咩神社である。

家とお店の神棚には、お札姿になったこれらの神ちゃまたちでいっぱいである。

またお守り姿にもなってるこれらの神ちゃまたちは、愛車の中にいっぱいである。

これら、最初の地元2社と白山比咩神社以外は、自分の思いで行ったのではなくて、

誰かに知らされたり、勧められたりして、いわばご縁をいただいて参拝したのである。

スピチュアル的に言えば「神に呼ばれた。」のである。いいね~こーゆー響き♪

そして、「神に呼ばれた。」なら、どこへでも行くのである。

で、「ホントに神がいる!?」と思った神社は、

岡山サムハラ神社奥宮、大神神社、若狭姫神社、瀧原宮、白山平泉寺である。

みんなあったかいのである。

でも、玉置神社は、それらとはまた違った感じも強烈にして、

「ド偉い神がいるな。」と思ったのである。ちょっとビビったのである。

で、白山比咩神社がこの中に入っていないのであるが、

「ここには神がいるような気がしない。」と思ったのだけれど、

白山が大好きなので、5年くらい前から毎年1、2度、参拝するようになったのである。

こんな神社参拝をするようになったり、神々を学ぶうちに、

「神社で神に願いごとをしちゃいけない。」

と、思うようになったのである。

普通は正装して、願いごとをするのが神社参拝であるが、

いつからかワタシはジャージで行って、感謝をするようになったのである。

ま、ジャージで行くのは、正装とか、ジーパンすらも窮屈でイヤなだけである。

で、「服装くらいで怒る神なら大した神じゃない。」

と、ワタシがその神の力を量る基準でもあるのである。って貴様は何様なんだ!

で、ここ3年くらいだろーか・・・

参拝時の感謝もなくなってしまったのである。

ただ、「パン♪パン♪」と柏手を打って頭を下げるだけの参拝である。

いつもジャージで行って、なんにも思わず「パン♪パン♪」だけである。

これが、ワタシが極めた、ワタシの正しい参拝である。

すると、とてもあったかくなるんである。

スゴく居心地が良くなって、あったかい心になるんである。

神社という場にあったかいパワーがあるのである。

そのパワーは願い事を叶えるパワーではなくて、心を癒すパワーなのである。

心が癒されたら人間はパワーアップするのである。

また玉置神社は心を癒すだけじゃなく、ピリッと引き締めてもくれたのである。

どの神社でも、願望欲望を無にすれば、どの神もあたたかく迎えてくれるのである。

その貴方に「神は御座します。」と現れるのである。

その瞬間に救われているのである。

で、先日、地元のお祭り日に三国神社に参拝したけれど、あったかくなるんである。

そして、一人稽古を少しやって、三国神社の神ちゃまにも見てもらうのである。

これが今のワタシの神社参拝である。

こんないろんな神社参拝の経験から、「白山に呼ばれた。」ということもわかり、

咲心館設立にあたっては、去年の12月9日、参拝場の元祖だった白山の神に参ろうと、

でも、ワタシは冬山登山が出来ないので、白山比咩神社へ参拝に行ったのである。

この参拝は、願いごとをするのでもなく、心を癒すでもなく・・・

ワタシの覚悟と、ワタシの人生をかけてやってきた空手の奉納・・・

つまり、ワタシの全てを全身全霊で捧げに行ったのである。

そしたら、ククリヒメちゃま☆が「御座します。」と現れたのである。

「神とは働く力なり。」

そのククリヒメちゃま☆の働く力とは「括る力」だそーである。

そして、その「括る力」は、それまでワタシが参拝してきた神社の神々も・・・

「一括り」

に、したのである。

おそるべし、ククリヒメちゃま☆である。

こうして、やれるだけやって「全ては神任せ」の人生となったのである。

めでたしめでたし。

で、もう、神社を参拝しても、何も願わず、何の感謝もなく、

「パン♪パン♪」した後、空手を捧げるだけである。

そして、ただ、今いるこの場所では、

毎日、これらの神々に「祈りと感謝を捧げる」のである。

こうしてワタシはいつも繋がっているのである。

これがワタシの「信仰心」なのである。

そして揺るぎない自信と安心を与えられるのである。

でも、ときどき神を忘れて、心が揺れちゃうこともあるのである。

おしまい。

わかるかな、この話。

わかる人は・・・狂ってるよー。

空手狂 狂祖  咲 心太郎

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