人生のカラクリ。

TVゲームなどで、ロールプレイングゲームというモノがあるが、

どなたもやったことがあると思うのである。

あるキャラクターを自分に見立てて、ゲームを進めていく・・・

ワタシも昔はゲーム大好き人間で、

K-1選手になって自分を育てたり、競艇選手になって育てたり・・・

まぁ、ゲームでいろんな世界を疑似体験してお楽しみになったわけである。

ハマり込むほど、リアルな気分になって現実のように思ったりしたのである。

で、最後までクリアしていくと、ハッピーエンディングとなってゲーム終了である。

最後までクリア出来ず、途中でゲームオーバーなんてこともあるのである。

と、ハッピーエンディングに向けて、またやり直しである。

ゲームのスタートから最後のエンディングまでには、

ゲームの進め方はいろいろあるが、ハッピーエンディングは1つで決まっている。

コレ、どうも、人生と同じなんだそうである。

TVゲームのキャラクターは、仮想の自分であって自分じゃない、

ゲームを操作してるのが本当の自分で、ゲームのキャラクターは自分の疑似体験・・・

今の自分を操作してるのが神で、今を生きてる自分は神の疑似体験なんだそうである。

つまり、今の自分というのは神がゲームでお遊びになっているということなんである。

で、ゲームにハマり過ぎた神が、人生というゲームのキャラクターである仮想の自分を

本当の自分だと思い込んでいるのが、ワタシら凡人という人間だそうである。

コレ、わかるかね・・・。

けど、もうちょい進めるね。

で、誰しもそれぞれの人生は、1つだけ決まっているハッピーエンディングに向かって

人生ゲームというモノは進んでいるんであるが、

ゲームのキャラクターを操っている神が、ゲームのキャラクターを自分だと思い込み、

ゲームのキャラクターもまた、自分が神に操作されていることを忘れて、

操作する者と操作される者がわやくちゃな状態が、今の人生ゲームなんだそうである。

で、操作を失敗して、途中でゲームオーバーとなり、

ゲームのキャラクターは死んでしまうけれど、

ゲームを操作してた神は、死なないので、

ようやくその時「ゲームのキャラクターは自分じゃなかった。」と、思い出して、

新たなキャラクターで再びゲームを始める・・・ハッピーエンディングまで繰り返す。

これが人生のカラクリなんだそうである。

信じられますか?

もし、これが本当ならば、人生の失敗はあなたのミスではなくて

神の操作ミス、もしくはそれがゲームの設定ということになるんである。

なので、失敗と思われるような人生であっても生きているということは、

まだ、ハッピーエンディングに向かって神がゲームを進めているのでもある。

その神の操作を信じることが、神に身を委ねるということである。

が、ヘボい神だと、操作を失敗して、すぐにゲームオーバーになってしまったり、

ヘボい神が創るゲームの内容やハッピーエンディングよりも、

スゲー神が創るゲームの内容やハッピーエンディングは、

当然、素晴らしいモノになるのだから

自分を神の世界にアピールして、スゲー神に操作をチェンジしてもらえるか!が、

神のゲームのキャラクターであるワタシらという存在が出来る、唯一の仕事である。

また、ゲームのキャラクターは、存在してるようで存在していないモノでもある。

人間とは存在しているようでしていないのである。

TVゲームのキャラクターと同じようなモノなんである。

神が創った宇宙の中の人生というゲームとそのキャラクターであるワタシらは

ゲームオーバーかハッピーエンディングのどちらかで消える・・・

消えると言っても、神が創ったゲームの世界からそのキャラクターが消えるだけで、

そのキャラクターを操作してた神とその世界は生き続けるということなんである。

で、その神は新キャラを使って、またゲームを始めるんである。

今の自分は、神という自分が創ったゲームのキャラクターだったということである。

ゲームの中で操作される仮想の自分というキャラクターが消えても、

ゲームの外でこのキャラクターを操作する自分は消えないのである。

このことを知り、この神に操作を任せるように成るのが修行精進であり、

これからの人生ゲームの進め方なんである。

そして、どなたにもハッピーエンディングが待っているんである。

と、書いてる自分で、なんのこっちゃである。

はい、おしまい。

うぅむ、どーしよー、コレ、アップしよーかな・・・。

書き直すのめんどーやし、ま、いいか。

咲 心太郎

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