「伝える」ということ。・・・「共育」なんである♡

最近の情報化社会では、

何でもネットなどで知識や情報が手に入る。

それで、なんでも知ってるという人が多い。

そんな知ってることが多いという人が指導者をやっていたりする。

その指導者には二通りある。

一つは、

「こういう知識を多く持った人が知識や形を教えるという指導者」である。

これは先生が生徒を教え育てる「教育」というやつで、

今はこちらがほとんどだと思う。

で、もう一つは、

「自分の感覚や心を伝えるという指導者」である。

武道では本来、伝授とか直伝とか秘伝とか、師の感覚や心を伝えるのである。

指導者には、

この「教える」「伝える」の二通りがある。

ワタシは、武道だからもちろん後者である。

師から受けた感覚や心を技に現して伝えるのである。

 

今の時代にはワタシの周りでも何でも知っているかのような顔をした人を多く見かけるのである。

こういう知識人というのは、テレビなんかで有名なお店のラーメンを見て知っただけでも、

さぞ食べてきたかのように

「あの店のラーメンは美味い。」

なんて言うんである。

知識で美味いと知ったのと、

実際に食べて美味いと知ったのでは、

まったく違うのである。

空手の世界でもこんなことをよく見かけるのである。

動画や本なんかで技や身体の使い方を知っただけで語るのである。

つい先日も空手の指導者の方とお話しする機会があったのだけれど、

スゲー沖縄空手家の動画を観たらしく、

その真似をして身体の使い方を身振り手振りドヤ顔でワタシに語るのである。

ちゃんとわかってねーし出来ねーくせにワタシにやって見せ語るのである。

それをワタシがちゃんとわかってて出来るということを知らないのである。

もちろん、この沖縄空手家の方にはぜんぜん及んでいないこともわかっているのである。

でも、ワタシは知らないフリをして聞いているのである。

でも、聞いてるこっちが恥ずかしくなるから教えてあげたくなるんだけれど、

ワタシは咲心館の稽古生にしか教えないんである。

というか、ワタシは教えるんじゃなくて「伝える」なので教えられないのである。

伝えるには信頼関係が重要なんである。

ワタシを上から見下ろして話すこの空手家の人には伝えようがないのである。

互いにプラマイゼロの信頼関係にならないと伝わらないのである。

師の信頼と弟子の信頼がピッタリ同じになったら一瞬で全てが伝わるのである。

しかし、他人の二人がピッタリいくことは稀である。

ワタシにはこの稀という奇跡が起こったのだけれど、

普通はどちらかの信頼が大きくて、

どちらかが、それより小さいのである。

だから、一緒に稽古をするという継続で少しずつ伝えていくしかないのである。

 

他人に「伝える」というのは、ホント難しいのである。

だから、時間をかけて一緒にやるしかねーのである。

たまに「教える」だけにしたら、

楽だろーなーなんて、思うときもあるのである。

でも、なんとか伝えようという稽古はワタシを成長させてくれるんである。

つまり、ワタシはお弟子さんたちに育てていただいているのである。

やっぱり咲心館では共に育つ・・・共育」なんである♡

「ワタシは何も知らない」ということを知ったのである。

知ったかぶりを卒業である。

 

咲 心太郎

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