自分磨き☆の職人♪・・・熟成すると「発酵」する飲食物があるが、 人間は熟成すると「発光」するんである。

朝10時過ぎにワタシより7つ年上の方がご来店になられてネ、

男同士で3時間くっちゃべりでありました。

この方とは3年ほど前に知り合ったのだけれど・・・

「初めて会ったときは怖いというか、威圧感を感じました。」

と、言われてしまいましたー。

え!このボクを?ウソやろ!?

[合気ウィルス♡]に感染してからは優しいオーラしか出てないハズなんやけどなー。

自分で自分をどう思うも勝手やけど、他人がどう思うかも勝手やし仕方ないね・・・。

ワタシは空手の稽古で丹田がどんどんとデカくなってるからなんだけれど

相手をビビらせるつもりがないのにビビらせたら空手家としては失格ですねぇ。

40歳頃までは相手をビビらせることを生きがいにしてたから

もしかして!?まだその余韻でそんな雰囲気が出てるのかね・・・。

 

とか言いながら内心では少し喜んでる自分もいるんである。

だって男の子だもん、ナメられたくはない。

見上げてもらいたくもねーけど、とにかくどんな奴にもナメられるのは絶対にイヤなワタシである。

「ナメられたくねーから。」これも空手に打ち込んでる理由の一つである。

20年以上、毎日毎日ドツき合い、突きや蹴りの稽古をやってきてるんである。

そりゃー、平和ボケしたかのようなこの時代に、

こんな野蛮なことをずっとやってりゃー素人さんに怖いと思われる雰囲気が出ても仕方ないんである。

そんなワタシの正拳突きを見たお弟子さんが何とも思わないんではダメなんである。

怖ぇーとかヤベーとかスゲーとか思われないんではダメなんである。

たった一発の突きにでも、その雰囲気が出なくちゃいけないんである。

この雰囲気こそが、ワタシが空手でやってきたことの全てなんである。

熟成すると「発酵」する飲食物があるが、

人間は熟成すると「発光」するんである。

技やその人の雰囲気として出るのである。

何年も何十年も慣れても飽きても、ただひたすらひたむきにやって来たんである。

それで光らない方がおかしいんである。

この宇宙では誰でも何でも「磨けば光る」ように出来ているのである。

ダイヤも磨かないとただの石ころなんである。

泥土でも丸めて磨けば光るのである。

でも泥土をいくら磨いてもダイヤにはなれないんである。

泥土には泥土の光、ダイヤにはダイヤの光があるんである。

どっちがイイ光なのか?なんてーのは見る人の好みの勝手である。

そうして自分の何をどのように磨いていくか?

光るまで磨き続けられるか?

どんな光が出るのか?

これが生きる喜びなんではないかと思うのである。

空手の稽古とは自分磨き☆をすることである。

空手家とは自分磨き☆の職人♪なんである。

 

と、カッコのいいこと言うて言い訳をしてみたけれど

やっぱり素人さんに第一印象で「怖い」と思われたワタシはダメなんである。

で、

早急に「優しい」と思われる自分へと自分磨き☆をすることにしたのである。

でも、やっぱり「ナメられるのは絶対にイヤ。」なんである。

が、

これを捨てない限り、「怖い」という印象が消えないと思うのである。

あー、またしばらくは「迷える子羊」の人生である。

あなたは、あなたでいいのである。

そんなあなたを、あなたの思うように磨けばさらにいいのである。

そうして、あなたは光るのである。

 

咲 心太郎

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