昨日のブログのワタシの声が届いたのか・・・
今朝一番に体育館の職員からさっそく謝罪の電話である。
昔はキレたらどなたも狂人扱いで相手にしてもらえなかったワタシなのに
あらまぁ~どうしたの?どうなっちゃたの!?である。
昔キレたワタシと昨日キレたワタシと表面の態度は同じでも何かが違うのである。
昔のワタシを相手にしないのは相手にとっては有益であったけれど
今のワタシを相手にしないのは相手にとっては非常に損なのである。
ワタシは自分を知る者になったのである。
ワタシャ~損してもあなたに「徳」を与えているのである。「得」ではないのである。
これが空手の神ちゃまのご神意なんである。
「なめたらアカンでー。」
なんである。
なんのこっちゃである。どこかおビョーキなのかしらワタシって。
でもバカにつける薬はないのである。
だから治らないってあきらめたのよ♪
今の世の中には幸せになる方法とか幸せを引き寄せる方法なんて本などが溢れ、
はたまたいろんなお宗教のお教祖さまを崇めて幸せを求めてお財産を失くしたりとか、
的中率が高いと評判の勝手に他人の人生を決めちゃう人にみてもらうとか・・・
あれやこれやとみなさん幸せを求め彷徨い流されお金と心を無駄遣いしておられます。
それで、幸せになった人を未だにワタシは拝見したことがありません。
お宗教にハマった人が家庭崩壊になったとか、占いを信じて不幸のどん底を歩いた人なんかは見たことがあります。なんでなんでしょうね・・・。
人生では、大切な人が死んじゃったり、彼女に振られちゃったり、
仕事やお金がなくなっちゃったり、病気になったり・・・と
もう誰もがたくさんの不幸なことを経験してるハズです。
これらは生きてる以上、どなたも避けることが出来ないのですから・・・。
「人生とは苦しみである。」と、本当にいたのか誰かのでっち上げなのか・・・
おそらく誰かが創り上げたでっち上げであろうの王族というパラダイスにお生まれになったにもかかわらず、
その地位と生活をお捨てになって苦しい修行を自らに課し生きたという御方がお説きになっておられるのである。
そしてまた「汝の敵を愛せよ。」と、さらにおそらくこちらもまた誰かが創り上げたでっち上げであろうのもう一人の御方は、
他人の不幸をみんな背負わされて十字架に懸けられ張り付け獄門の計に処せられて教えを説いたのである。
そんな御二方は世界中で時代を越えて崇められ人間が幸せに生きる道を説いているという。
自ら不幸の道へ進んだ者と他人の不幸を背負って不幸の道へ進んだ者と・・・
こんな偉大な聖者が不幸なのにワタシら凡人が幸せになんかなれるわけねーのである。
それでも強欲なワタシは幸せを求めて御二方の教えを学び実践し、生活を捨ててでも空手の苦しみに励み、
他人の不幸を我が事のように苦しみながら生きてたらやっぱりドエライ不幸な人間になってしまったのである。
それでワタシはお悟りになったのである。「この御二方はおバカ丸出しである。」と。チャンチャン♪
自ら不幸に進めば不幸になるに決まってるのであります。
他人の不幸を背負っても不幸になるに決まってるのであります。
こんなハチャメチャなこと書いてイイんだろうか・・・。天罰が下る!?ってか。
美味しく食べられたら♡・・・それでイイんじゃね?そのためになんでもがんばるゾ。
咲 心太郎
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