「弱い自分を知れ。稽古に励め。そしてみんな咲けよ。」・・・「真の強さ」と「真の弱さ」の話。

最近はブログを書き出すと脳みそのリミッターが外れやすくなるわ、

ブレーキは効かなくなるわで言葉が乱暴になったり内容が意味不明になってる。

こりゃいかん!ということで、

今日は汚名返上名誉挽回起死回生逆転満塁ホームランの一作入魂で書くのである。

漢字を並べたら読みにきーんだよ、句読点を入れろや。やーだよ。

 

で、いきなり

「強くなる!とは?どういうことか。」

ワタシのように空手にハマる人間のほとんどが強くなりたいと思っていると思います。

ちなみに20歳のワタシが武道の世界に入った動機は「ケンカに使える」でした。

少々ヤンチャなワタシは夜な夜な臨戦態勢人間のたまり場に出没してたからです。

空手で突きや蹴りを覚えたての頃は早くケンカに使いたくてウズウズしてたもんです。

でも空手を続けてると自然と素人相手には使っちゃいけないなと思うようになり

ケンカに使えるという目的を達成したにもかかわらず、ますます空手にハマりました。

 

なぜなのか?

 

「もっと強くなりたい。」

 

空手の世界には、もう強い人間がウジャウジャいるわけです。

ケンカで素人相手に楽勝でも空手の世界ではボコボコにやられちゃう。

そんな強い人を相手にするときは、やる前からビビってるワタシがいて・・・

 

「自分は弱い人間だ。」

 

30歳の頃、初めて心底から自分のことをそう思いました。

それからは異常なくらい「強さ」だけを求めて稽古に励む日々となり

37歳頃には自分の周りでは誰にもやられることはなくなりました。

もちろん自分でも自信がつき、自分は強くなったナと思いました。

しかし、そんな頃から空手ばっかりやってきたツケが回ってきたのか・・・

空手の世界以外での仕事や人生で諸問題の数々が起こり始めました。

この諸問題の相手の人間には突きや蹴りを使うことは犯罪者になるから

それまでの空手で培った強さが使えない、通用しないのでした。

そして空手の世界以外ではとことん打ちのめされ続ける日々となりました・・・。

 

「手に入れたモノは「真の弱さ」だった。」

 

ワタシはただひたすら強くなることを手に入れるために他を犠牲にして稽古に励み、

それで手に入れた強さとは、本当は弱さだったと気付かされたのである。

 

人間は誰しもみな弱いのである。なのにその弱さを隠すために自分より弱い相手を攻めて勝ちを得て満足してる人間ばかりである。

そんな弱さ比べに勝って自分の弱さを自慢してさらに弱くなっていることを知らんのである。

そんなおバカな人間の攻めに負けないために、

そんな攻めに負けてしまう弱い人間を強くするために、

空手があり空手の神ちゃまがおられるのである。

空手の真の強さとは負けないことである。誰が相手だろうとどんな攻めだろうと負けないのである。

相手を打ちのめして負けないのは弱さなんである。相手を打ちのめすことなく負けないのである。

この真の強さを手にした人間を前にして挑んだ相手はいずれ自滅する、もしくは改心するのである。

またこの真の強さを手にした者はその強さが自然に形を変えて優しさとなって現れるのである。

弱さ隠しの優しさとはまったくの別モンである。これを思いやりというのである。

空手に励む者にはどなたにもこの空手の神ちゃまが傍にいてあなたを真の強さ、この優しさ、思いやりのある人間へと導いてくれているのである。

 

「弱い自分を知れ。稽古に励め。そしてみんな咲けよ。」

 

今日はうまく書いたナ!と空手の神ちゃまにホメられちゃった♡ヤッター♪

咲 心太郎

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