「道場」ってさ、「ジム」とか「教室」とは違う!んだぜ~。

昨日の朝、家の外へ出ると真っ白・・・

辺り一面に雪が積もってた・・・

今日はだいぶん溶けたけど、まだ雪が残ってる。

そんな今日は雪じゃなくて時々雨が降るお天気だけど

周りに雪があると、空気が冷たく感じてさ、

ホントに寒い。

で、

一人稽古の午前の部♪をやった・・・

自分のレベルが上がるし、身体があったくなるし・・・

一石二鳥だ。

と、

その途中・・・

青空になって日が差してきた。

福井の冬は、

青空に太陽なんて滅多にお目にかかれない・・・

ボクは、すぐに外へ出て、

太陽に向かって立ち、立禅をやった・・・

頭のてっぺんから足の裏まで…身体中に太陽を浴びる!

昔は、太陽を直視しながらやったこともあったけど、

目に良くなさそーだから辞めた・・・w

で、

目を閉じて、太陽に手の平を向けて、じっと立つ。

しばらくすると、

太陽のあたたかさ、光・・・

それらが体の中に伝わってくるのがわかる・・・

それを身体を緩ませて全身に巡らせるのだ。

これが、

ホントに気持ちがイイ~。

この時期は、特に

この太陽の有り難さがよくわかる。

みんなは、

太陽の存在を忘れ、太陽を侮ってはいないかい?

太陽系の中心は、地球じゃなくて太陽なんだぜ。w

しばらく立禅をやったら

心までぽっかぽかになった。w

ボクの心の中の太陽が反応したよーだ。

 

昨日の道場稽古は、

その1時間前から小学1年のSクンとそのお母さんと稽古♪

その稽古始めには、いつも3人で、

スワイショウとぷるぷる気功をやってから

立禅をやる・・・

小学1年の子に立禅かよw

そんで、

ボクは2人の頭をゲンコツで抑えながら

正中線の力を通して感じさせる・・・

そして、

輪っかの形に広げ上げた腕に

ある圧をかけて身体を後ろへ押してみる・・・

すると、

立禅の経験の無い、ほとんどの人は、

簡単に後ろへ押され、身体が崩れてしまうのだが、

小学1年のSクンは、

微動だにしない!

頭のてっぺんから手の先、そして足の裏まで、

ちゃんとボクが加える圧に調和して

そんまんま立ってる・・・お母さんも・・・だ。

そんな2人とも、

入門して、2、3週目には、

その「立ち」が出来るよーになったけれど、

これが、

ボクに働くよーになってくれた、

アイキ♡の力というモノのおかげだろー。

無邪気な心の持ち主には、

すぐに伝わる。

ってかさ、

このSクンの心がめっちゃ純粋で、

ホントに可愛くって、たまらなくなってさ、

ボクが、

すぐにアイキ♡モード☆になってしまうから・・・なのだが。w

 

昨日の午前中は

元プロボクサーで20年来のお弟子さん・・・

今は空手もボクシングもやってないYちゃんが

お店に遊びに来た。

そのYちゃんの息子が野球に夢中~ってなご様子で・・・

それで、

ボクは、野球にも活かせる身体の使い方や身体を整える方法を

いろいろと教えた。

すると

「一番イイ稽古…大切な稽古って何ですか?」

突然、Yちゃんがボクに訊いてきた。

さて、

何だと思いますか?

ボクの稽古は

全部!良い!

空手の稽古も!何もかも!

でも、

それが良いかどーか?

それは、やる人次第!

それをやる人の立ち方次第!

だから

立つだけの稽古・・・

「立禅☆」!

これが一番大切なんです。

「立ってやるんだから、その立ち方が良くなくて良い動きが出来るか?」

Yちゃんは凄く納得したよーだった。

 

それで、

「立禅」を教えた・・・

とは言え、

ボクは、この「立禅」を15年以上、

毎日続けてきた・・・

また今年は、

何度も覚醒させられて、

これまでとは比較にならないくらい、

「立禅」が進化して、いろんな立ち方が出来る・・・

その感覚の情報量は膨大だ。

それを全部伝えるのはかなり困難なことであるし、

また

その感覚を言葉で表し伝えるのは

ボクにはかなり難しいことだ。

でも、

Yちゃんには特に大事な要点などを

一緒に「立禅」をやりながら教えてみた・・・

「今日から息子と2人でやります。」

がんばれ。

 

今朝、

YちゃんからLINEで動画が届いた・・・

息子が「立禅」をしてる動画だった。

その立ちは、

真っ直ぐに立ち、キレイな形をしてた・・・

その姿は

小学1年のSクンよりもちゃんと立ってる!よーに見える・・・

が、

動画を一目見ただけで、

「こりゃ~、小指1本で押しても崩せるな・・・」

動画のYちゃんの息子よりも、

立ち姿が良くないSクンは、

両手で押しても崩れないのに!

立ち姿の良いYちゃんの息子は、

小指1本で崩せる・・・

どーいうことだろーね。w

その理由を

ボクは知ってる・・・

だけど、

言えない・・・

だから

LINEで返信をして、

「ここをこーして、そこをそーして・・・」

また要点を教えた。

けど、

伝わるかな・・・。

 

ボクが教える

空手や立禅・・・

それらは皆、深層筋を使う。

その深層筋は無意識の領域だ。

無意識を自意識が掴むというのは至難の業・・・

しかし、

神は、

人に脳みそと心を人間に与え備え、

無意識を自意識で掴める能力をお与えになった。

それで、

人が、何かを長く継続し、脳にその刺激を与え続け・・・

さらに

自分の心を見つめ、純粋さを取り戻して行ったならば・・・

脳は変化を続け、心は澄み渡って行き、

その無意識は、少しずつ、アナタの脳と心に映し出されるだろー。

自分の身体と心・・・

この2つを洗練する作業が、武の道だ。

決して、

他人との闘いに勝つことや、他人に対して強くなることが目的じゃない。

・自分を良くして行くこと

・幸せで在ることを知ること

・死ぬまで健康で元気を目指すこと

そのための武の道、

そのための身体や心の使い方であり、

それが「技」となって現れるのである。

また

それが空手の神の願いであり

その「技」は「神からのご褒美☆」なのである。

 

素手なんかで闘う、野蛮な時代はもうとっくに終わった。

もしも、街で喧嘩になったなら・・・

そんな闘いに勝ちたいのなら・・・

石ころを正確に投げる、棒を拾って叩く・・・

そっちの方が遥かに戦闘力が高い。w

それよりも

拳銃を手に入れておいた方が手っ取り速くて良いだろー。w

また拳銃を持った相手には、空手なんて通用しない。

だから

現代の武道の護身とは、闘いに勝つ術ではなく、

闘わないための術なのだ。

しかし、

未だに護身術なんて謳ってる連中が多くてさ、

ホントに呆れる。w

おそらく、

そんな連中に限って、実戦なんてやったことがないのだろー。w

他人との暴力的な戦いで闘って、勝っても負けても・・・

その先に待つのは不幸!ただそれだけだ。

ま、

空手の試合などでスポーツとして闘うのはアリかも知れないが・・・

残念ながら

闘いたい人間、闘いに勝ちたい人間が、

武の真髄を知ることは無い。

武道はスポーツじゃない。

また

他人と殴り合い、蹴り合い、倒し合うよーな競技を

スポーツとか格闘技とか言って、美化してはならない。

そのせいで、

多くの人が、

野蛮なことだと思わなくなってることを怖れるべきだろー。

また無邪気な子供たちへの影響も計り知れない。

空手なんかをやってる自分を野蛮だとも自覚もさせずに

子供たちを試合で闘わせるべきではない。

 

そんなボクは、

かなり野蛮な人間だったけれど、

ホントに良い師と良い友に恵まれて、

空手の神からのご褒美・・・

今の「技」がある。

過去に想像して、目指した自分を遥かに超えた、ボクの「技」・・・

それは、

このボク自身ですら、驚きと畏れを感じる・・・

また

これまで通りに続けていれば、

今後は、さらにその「技」が進化することだろー。

この「技」を得る歓び・・・

それをボクは伝えたい。

でも、

その「技」は、

言葉や文字で伝えられるモノではない。

話を聞いたり、活字を読んで、いくら頭でわかっても・・・

出来っこない。

だから

「道場」で一緒に稽古をやるのである。

みんなで同じ空気を吸いながら・・・

汗と涙を流し、笑い合いながら・・・

飽きても懲りても・・・

みんなで高みを目指し続け、やり続ける・・・

その「高み」がボクの「技」であり、

そのために

ボクの「道場」が在るのだ。

「道場」ってさ、

「ジム」とか「教室」とは違う!んだぜ。

もちろん「塾」でもない。

って、

その違いを知ってたかい?

現代は、何でもさ、

みんな一緒くたにしちまってさ、

知らない人が多すぎやしねーか。

あ!

でも、今は、

「ジム」やら「塾」みたいな「道場」ばっかだな。w

 

咲 心太郎

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