たまたま!神が創った”出来レース”

今日の午前中も軽く一人稽古をやろーと

パソコンに取り込んである

玉置浩二のアルバムの中から曲を選んで

ポチッとクリックすると

ぜんぜん違う曲が始まった・・・

ん?

何で?

壊れた?

たまたま!

その曲はボクの大好きな曲で…

それを聴くのは久しぶりだった。

そのせいか?

また

脳みそがポワ~ンってなって・・・

それからは

ボ~っとしたまま

ずっと

玉置浩二を聴いてる・・・

ブログを書いてる。

 

プー太郎になって

間もなく1年になる・・・

お店が終わった直後は

「何か仕事を見つけないと・・・」

そんな気持ちもとっくに消えちまって

日中のほとんどは

”独りぼっち”

これを満喫してる。

昔から

学校をサボるのも

半分は友だちと遊んだけど

半分は一人で映画館や喫茶店でサボった・・・

登山も半分は

息子やお弟子さんを連れて行ったけど

半分は一人で山に行った。

ボクは

人といるのが好きなのかな?

それとも

独りでいるのが好きなのかな?

どっちなんだろ?

どっちも

楽しくて好きだけど

どっちも

淋しくて嫌いだ。

でも

今が人生で一番!

幸せに思える。

 

まぁ

ホントに!

空手だけじゃなくて・・・

お店のことも・・・

自分の人生のことも・・・

身近な人の人生のことも・・・

とにかく

この20数年は

ひたすら

がむしゃらに

ひたむきに

必死に

あくせくやって生きて来た。

お店が上手く行っていれば

今もあくせくやってただろーけど

終わった今は

あくせくやってた自分が

ホントにバカバカしくて

ホントに可笑しくて笑える。

普通に考えたら

一人でガソリンスタンドをやる!

それ自体が

無理に決まってる!ってわかるだろ!

ってな話である。

やってる時は

何とかしなければ!

それしかなくて

わかんねーのである。

ホントにバカでした。

どんなに苦しくても投げ出さず

最後までやり通した

自分を褒め称えたいと思う。

クソみたいに生きてたボクでも

これだけやれたんだ・・・

みんなは

もっとやれるサ。

 

この国では

小学と中学と”義務教育”で

イヤでも学校へ行かされる。

脳ミソが出来上がっていないこの時期から

イヤな勉強をさせられて

その点数で評価されてしまう。

まぁ

中には稀に

勉強が好きな子もいるであろーが

ボクの知る限りでは

ほとんどいない。

勉強をがんばる子もやらない子も

みんな

イヤイヤやるか?

イヤでやらないか?

どっちも勉強がイヤなのだ。

そりゃそーだ

子供の仕事は”遊ぶこと”なんだから。

やらない子は出来ない子と評価され

「自分はダメなんだ・・・」

そんな脳を形成されてしまう。

また

やった子は出来る子と評価されるが

ますます

イヤなことをがんばる!

そんな脳ミソが形成されてしまう。

また

体育の時間などには

あの”体育座り”を何度もさせられて・・・

あれは

”囚人座り”と言うそーで

あの体勢は

思考力を弱らせ

イジけやすい、落ち込みやすい

そんな心になりやすい身体にするのである。

ボクらの世代の人間も

みんなの脳ミソが

この”義務”にやられちまったのである。

いつの間にか

誰もが気づかずに

”囚人の脳”である。

 

そんな脳ミソたちを救うべく⁉

中学2年の時に反抗期を迎えたボクは

尋常じゃないほどに

反抗心を持つよーになってしまった。

親にも先生にも・・・

全ての大人が敵に思えて

逆らって逆らって逆らいまくった。

それで

そんな大人たちが創った社会からは

外れたよーな人生になるのは当たり前で・・・

お店が終わるのは必然のことだった。

あの中学2年の反抗期から

およそ40年・・・

人生での大敗北を喫した

今もまだ

その反抗期は継続中だ。

そんなボクは

やられっぱなしで負けっぱなしの人生になったけど

空手だけが残った・・・

まだ終わっちゃいない。

これまでの反抗に使ったことの代償は

めっちゃ大きかったけれど

その代償よりも

ボクは

もっと

大きくて大切なモノを手に入れた。

だから

”囚人の脳”で苦しんで生きていて

そこから解放されたい人は

このボクが力となって

”自由な脳”に変えてみせよう。

これが

”囚人の脳”の世に逆らって生きてる

そんなボクが出来る

脳内革命☆という

唯一のことだ。

ただし

”変人”と呼ばれる

その覚悟を持つこと!

それが

唯一の条件だ。w

 

反抗期になった

中学2年のあの日・・・

昼食の時に校内放送で

「ワインレッドの心」

玉置浩二の歌が流れてきた。

たまたま!初めて聴いた、その歌とその声…

ボクの魂が感動に震えた。

何で?

その理由がわかる今…

このたまたま!がなかったら

ボクは今頃

ホンモノの”囚人”になっていたかも知れないナ…

今日は

そんなことを思いながら

聴いてる。

人生なんて

神が創った

”出来レース”だぜ。

でも

人間には

わからない・・・

だから

それを

楽しんで

悲しんで

そんな

自分の人生を

愛することが

人間の務めであり

その自分を愛せることが

幸せなのである。

 

咲 心太郎

コメント

  1. 咲心館で稽古を始めて5年目に入りました。

    今は、いつからか分からないけど、自分を肯定できて、好きになってる自分がいます。
    以前はこんな自分でいいのか?って責めてたけど。

    回りは何も変わらなくても、心があまり乱れないし、幸せな気持ちでいられる。コントロールできる。

    自分が幸せになれば、他の人に与えられるようになれると教えて頂いた。

    そうなれるくらいになりたいと思います✨

    • 昔ネ、保江先生にネ
      「そー思った瞬間に、すでにそーなっているんですよ。」
      って教えていただきました。
      だから、シゲルちゃんはもう周りに与えていますよー♪
      少なくともボクはたくさんいただいています。