ボクが学んだ「武術の根源」。

昨日から

コロナで活動を休止していた咲心館も、

2週間ぶりに稽古を再開した。

稽古前、

動画を撮影するために、

ジローと早めに体育館へ行ったけれど、

2週間ぶりに駐車場で顔を合わせた時には、何か懐かしい気持ちになった。w

コロナで高熱にも負けず、

ブログを書き続け、一人稽古をやり続けたジロー、

ちょっとだけ、顔つきが良くなった・・・

やる前から負けっぱなし!のよーな人生を歩んで来たジローが、

ちと、ホンモノの空手家☆になって来たよーだ。

きっと、師匠がイイんだろーね!w

自分で言うな。

だってさ、

誰も言ってくれんからや。

 

さらに、

昨日の稽古には、

リリーとサリーもやって来た・・・

そして、今日は、

空手の試合に出場しに行った。

2週間も稽古がお休みで、

そんな試合の前日の夜に、

小学生と中学生の女の子が稽古をやって、

その久しぶりのたった1回の稽古をやって試合に挑む・・・

これを「無謀な挑戦」と言う。

ジローがコロナに罹っても、やり続けたことも、

同じく「無謀な挑戦」だ。

果たして、

こんなに平和で「命を大切に・・・」が連呼される世の中で、

こんな「無謀な挑戦」に挑ませるボクは、

本当に正しいのだろーか・・・。

現代の常識で考えれば、

コロナで高熱を出したジローは、

ブログや稽古を中断して、身体を休ませるべきであるし、

コロナに罹って稽古を2週間休んだ、リリーとサリーは、

試合を棄権するのが当然であり、

また、どーしても試合に出るのであれば、

前日の夜は、稽古などせずに早めに身体を休ませるのが当然である。

それに反した、今回の挑戦・・・

その試合も、1回戦で2人とも負けた!と報告があった・・・

やっぱり、ボクの指導は間違っているのだろーか・・・。

 

否!

 

ボクのこのブログを読んでくれてる人は、

ユーチューブも観てくれているであろーから

お気づきの人も多いと思うが、

ボクの動画にコメントをくれる、

すごく武術に精通した方がいるけれど、

そのよーな御方が

時々、心を乱したよーなコメントをしてくるよーになった。

武術に関しては、

ボクの何倍、何十倍も知っていて経験もあるよーだけれど、

人生の窮地に立たされて、かなり心がお疲れのよーである。

それで、

ユーチューブという、

世界中から見られる場所に「泣き言」を書き込んでいる・・・

その一方では、

ボクらの知らない武術の深淵を理路整然と語る・・・

さて、

現代社会において、

そんな武術とは、

何かの役に立つのであろーか・・・

これほどまでに武術を知った御方が、

この有り様なんである。

 

武術の技とは、

言わば「武器」である。

自分や家族、そして仲間を守るための「武器」・・・

昔は、

「武器」とは「刀」であったから、

「刀」を研ぎ、「刀」を使う技術を上げたのが武術だけれど、

昔の武人たちは、

いくら「刀」を研いで、いくら「刀」を使う技術を上げても、

いざ、「刀」を持ち、相手と殺し合う場に立つと、

「相手を殺す。」もしくは「自分が殺される。」・・・

そこから、とてつもない「恐怖心」が起こることを知ったのである。

そして、

その「恐怖心」が一度起こると、身体が思うよーに動かせなくなり、

研いだ「刀」も、磨き上げた技術も、

その全てが全く使えないということがわかったのである。

その闘いの先に待つのは「死」・・・

それで、

「恐怖心、この心やいかに・・・」

そんな「道」を学び歩んだ先達たちがいるのである。

それがボクが学んだ「武術の根源」である。

 

現代では、

「刀」を使って闘うなんてことはあり得ないのであるから、

「刀」を使う技術は、必要がない・・・

また、

ボクがやってる空手は、

「刀」を「手」と「足」に変えて「武器」にしたのであるが、

最早、この時代にそれすらも使うことは無い!のである。

だから、

「刀」や空手の技をいくら磨いたって、

使い道が無いのであるから、時間と労力の無駄!

それが現代の「武術」なのだ。

闘いの形が変わり、それらはもう、使いモノにならないのだ。

しかし、

「恐怖心、この心やいかに・・・」

この武術の根源は、

空手、柔道、剣道、合気道・・・

あらゆる武術の中に、

その「道」を先達たちが示し残していて、生き続けているのである。

 

しかし、

現代の道場の多くは、

スポーツ化、競技化された武道をやって、

また武術と謳い追求する者たちは、

約束ごとの稽古や身体の使い方ばかりやって、

到底、ボクには武術とは思えないことばっかやってる。

で、

すげー合気の技を動画に上げてる人がたくさんいるが、

そのほとんどのどれもが、

肝心なことを抜かしてやってる・・・

「刀」を研いで、「刀」を使う技術を上げてるだけだ。

それは先達たちの残した「道」じゃない。

 

ボクは、

ボクの空手に来た、

子供と若い子たちには、

この「道」を歩ませる。

今日も、

個性的な小学生のマナ・ブーマン☆とは、

ドッジボールをやって遊んだ・・・

その途中で、

ボクは、「殺意」のよーな「本気」で、

マナ・ブーマン☆にボールを投げる・・・

そんなボクに対して、マナ・ブーマン☆は、

ボールを投げるフリだけでも

身体がビクン!となって、固まって動けなくなる・・・

それを何度も繰り返してやった。

マナ・ブーマン☆は、心の深いところからビビりながらも、

ボクとのドッジボールを楽しんだ。

昨日は、

リリーとサリーにも組手を手加減してやりながらも、

ボクのこの「本気」を何度か喰らわせて固まらせてやった・・・

ボクは、こーして、

「楽しみ」という形に隠しながら、

彼や彼女たちの知らないところで

本当の「恐怖心」を起こさせながら、

彼や彼女たちの知らないところで

そんな「恐怖心」を自信と勇気に変えてやるのだ。

その「恐怖心」を超えた自信と勇気を

「愛」と言う。

 

咲 心太郎

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