昨日は道場稽古がない日なので、ゆっくりと一人稽古に励んだのである。
毎日、一人稽古をやるけれど、道場稽古がない日はみっちりとやるのである。
その稽古始めはマイケルジャクソンの音楽で、
そんで途中から玉置浩二の音楽をガンガンに鳴らしてやるのである。
これらの音楽は、凄くワタシの「心に響く」のである。
この「心に響く」音楽をかけながら稽古をやるのである。
稽古とは心を整えながら身体を使う・・・
人間は、「心が主」、「身体は従」
ワタシはそう思っているのである。
で、そんな稽古の途中にいつもの友人!?からの電話である。
「何してた?」
『一人稽古。』
「もう、いい加減に飽きたやろ。」
『ぜーんぜん。』
「もう、そんなにしなくていいだろ。」
『いや、まだまだ凄く成りたいの。』
「51歳だろ、もう無理だろ。」
『いや、今までのオレの人生の中では今が一番だよ~。』
「ウソつけ、30代の自分に勝てっこねーだろ。」
『30代の頃のあんな弱っちい自分なんて楽勝~♪』
「オマエ、仙人にでもなれ。」
まぁ、「仙人」になるつもりはねーが、
空手の「達人」になるつもりは大有り!である。
28歳か29歳の時に
「オレ、死ぬまで空手をやって達人になる。」
と、本気で思い、本気で自分に誓い・・・
そして・・・本気で今日もそう思っているのである。
で、いつの間にやら「達人」の世界の「入口」には入れたと思うのであるが、
どーやら、ここまでの道のりよりも、ここから先の方が長いよーである。
でも、この先が楽しみでならない♪のである。
「達人」なんて言うと、
なんか特別な人間のように思っていたけれど、
「達人」と呼ばれる方に出会い、「達人の技」を味わって、
そんで自分も「達人」のような技が少し出来るようになってみると・・・
「達人」って別に「特別」じゃねー。
って、わかるのである。
「達人」とは文字通り、「達した人」なんであるから、
何事かをずっと続けてりゃ~、早かれ遅かれ、
誰もがみんな、達する♪
のである。
どこへ「達する」のか?
それは達すればわかるのである。
ま、達しても、達したことに気づいてねー人もいるが・・・。
何かを続ける・・・「達人への道」は、
ずっと歩き続けているのであるから、
同じところにはいないのである。
同じ稽古の繰り返しという歩みの毎日は、
いつも同じように思えても、
日々、どこかへと進んでいるのである。
ほんの少しずつ、自分の「何か」が変化して行っているのである。
そんで、いつの間にか「到達」するのであるが、
それを知るのは「到達」した時ではなくて、
そこからずっと先・・・
いつの間にかという、「過去形」で知るのである。
現代はいろんな物事が溢れているし、
また人間特有の「飽きる」、「あきらめる」という能力によって、
「一つの事」をずっと続けられる人があまりいないのであるが、
何事でも続ければ、誰でもその道の「達人」になるし、
「達していない人」には出来ないし、理解もされないような
自分がスゲーと思うようなことが出来るようになるのである。
そういう風に人間は創られているのである。
まぁ、物事に溢れた世であるから、
「飽きたら、他のことをやる」ってな生き方を楽しむのも有りである。
人生はとにかく「楽しんだモン勝ち♪」である。
ただ、「一つの事」を続けるという楽しみは「歓び」で、
「飽きたら、他のことをやる」という楽しみは「喜び」という、
ちょっとだけ違うのである。
ま、どっちでもいいのである。
いいのかよ。
いいの、いいの。
楽しめれば、それで、いいの。
咲 心太郎
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