昨日も「咲心棒☆」体操の後、「合気のお遊び」をやったのであるが、
やる度にみなさんの「合気」の感度や感覚が高くなってきてるのである。
普段の空手の稽古の組手の時も、勝手に手がくっ付いちゃうようなお弟子さんもいて、
これは、身体と心が良い状態に緩んでいて「合気」が働きやすいからである。
「合気」が働きやすい身体と心ということは、
他人と「調和」するような人間であるということである。
まぁ、人生では、闘いまくって勝ったり負けたりするのも悪くはないが、
相手と闘わず争わずで、勝たないけど負けないのが武の道、「調和」である。
闘わないのならば、突きや蹴りを磨く必要もないと思われるだろーが、
相手の「氣」が自分よりも大きくて、その相手が「対立」の心で来たときに、
その大きな「氣」に押されて、相手の「対立」の心に飲み込まれてしまうのである。
で、空手では突きや蹴りで「氣」を育て、「氣」を大きくするのである。
また、どーしても「氣」で対処出来ないときには突きや蹴りで身を護るわけである。
ま、相当な「氣」のデカい大悪党でもない限り、
こちらが柔らかい心で対処すれば、大体は「調和」するのである。
「合気」は、弱いモンの味方なのである。
とは言え、相手が怒ってきたり怒鳴ってきたりしても、
動じることなく柔らかい心でいる力。
これが必要であるから、日々、稽古修行をするのである。
また、この「合気」が働くような状態の心は、
落ち込んだり、悲しんだりしてる人の心をほんのちょっと癒せるのである。
どーするか?
そばにいるだけでいいのである。
人間は見えないところで「氣」を通じて交流していて、こちらの「柔らかい氣」が、
落ち込んだり悲しんでる「荒い氣」に影響を与えるのである。
「合気」自身の真の目的は、コレなんである。
まぁ、「合気」の目的はさておき、
兎にも角にも、「柔らかい氣」と「柔らかい身体」と「柔らかい心」になれば、
後は、自分の思考や思想と行動次第ではあるが、
幸せな人生を歩むことになるのである。
自分が関わる周りの人と「調和」して仲良くするのだから当たり前である。
そんな人間を一人でも多く!
と、咲心館を設立したわけである。
で、そのお弟子さんたちが、段々とそーなっていく姿を見て、
嬉しくてたまんねーのである。
で、「対立」しまくってきたワタシのめちゃくちゃ「荒い氣」も、
日々、どんどんと柔らかくなっているよーである♪
やったね。
咲 心太郎
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