「やりたいこと」と「やらなくてはならないこと」。

今日も何台かのタイヤ交換をやってるのであるが、大きいタイヤの車が2台あったから

さすがに表層筋肉に疲労が溜まって来たのである。

空手家なんだから、体力あるだろーし、根性を見せろよ。

咲心太郎は体力も根性もねーのである。

ただ普通の人より、ものすご~く空手が好きでちょっとだけ空手が上手いだけである。

この「ちょっとだけ」のためにあれやこれやとやってきて、

あんなこんなを経験し、そしてついに長年の念願が叶って変人に成れた♪のである。

人生には「やりたいこと」と「やらなくてはならないこと」があって、

咲心太郎は、子供の頃から「やりたいこと」ばっかりやってきたのである。

で、子供の内はまだしも、大人になってからも「やりたいこと」ばっかりであるから

そのツケが今になってもまだ解消されねーのである。

まぁ、成人してからワタシの「やりたいこと」は空手で、

「やらなくてはならないこと」は、このお店、仕事である。

「やりたいこと」と「やらなくてはならないこと」が一緒・・・

仕事が「やりたいこと」であれば何の問題もなかったのであるが、

空手は仕事ではないから、仕事を疎かにしてでも空手をやるという、

「やりたいこと」を「やらなくてはならないこと」より優先して生きていたのである。

で、30代半ば頃に空手の神ちゃまに「こりゃいかん。」と気づかされて、

仕事にも空手と同じくらい精を出すよーになったのであるが、

気づくのが遅かったのかも知れねーと思う、今日この頃である。

それでも「二兎を追う者は一兎も得ず。」なんて教わってきたけれど、

空手という「一兎は得た。」のである。

と、言うよりは、仕事も空手だと思えるようになったから、

正確には「空手という一兎を追った。」のである。

まぁ、何か一筋を飽きることなく諦めず、とにかく続けることが出来たなら、

自分が望むモノは何だって得ることになってるのである。

で、ものすごーい心の平安を知るのである。

ま、ワタシは「やりたいこと」一筋で生きてきたから

そーなれたのであるが、「やらなくてはならないこと」を疎かにしたツケによって、

空手一筋から得た心の平安なんてモノは吹っ飛ばされそーな人生である。

が、それにも慣れてきて、最近は心が平安な日々を暮らすことが多くなったのである。

心が平安であれば、どんなときもどーってことねーのである。

で、「やらなくてはならないこと」を優先して

「やりたいこと」を疎かにしなくて良かったと思うのである。

でも、こんな人生で知ったのは、

バランスが大事。

「やりたいこと」と「やらなくてはならないこと」のバランスである。

右に振れれば左に、上に振れれば下に…揺り戻されるのである。

プラマイゼロ地点、今ここを見つけよう。

咲 心太郎

コメント