”生きる”とは”息る”こと!

あけましておめでとうございます。

年が明けたらお決まりのこの台詞♪

いつから

誰が

何がおめでたくて考えたんだろ?

一年と言わずさ

一か月

いや

一日

いやいや

一時間

一分

一秒が明けたら…

いつだって

今が!

おめでたいんじゃね?

どーでもいっかw

ぶっちゃけ

毎日がおめでたくなってしまったボクには

年明けのお正月も

ただの一日になってしまった。

つまらん人間ってか?

ほっとけ。

 

神さまをこよなく愛するボクは

昔はよく

「神さまはさ…」

なんて話をしたのであるが

まぁ

まともに聞いてくれる人は

ほとんどいないわけで

まるで

怪しい人を見るよーな白い目で

見られることも多々あって

最近は

ほとんど話さなくなったのであるが

やはり

このお正月となると

昨夜も

外で一人稽古をやっていると

遠くの成田山から

太鼓の音などが鳴り響き

そこへ向かう車がよく通るのを見ると

「神さまを信じないのに何で初詣でに行くの?」

神さまの話をすると

白い目で見るよーな連中が

初詣でに行く!

という愚かさが

ちゃんちゃら可笑しくて

アホばっか!

って

神の御心を思うと

情けなくなって来るのである。

そんな時だけ

高いお賽銭を払おうが

どんなに

参拝しても

神さまは

褒美も罰も

何も与えてはくれん。

「もう与えてあるだろーがッ!」

って

そんな

神さまを困らせるのはよしなさい。

 

昨日は

嫁ちゃんが実家に帰って

夜は一人で夕食だったけど

ボクは

独りぼっちじゃない!

何十兆という細胞や

何十兆~100兆ほどの細菌が

いつだって

どこだって

ボクと共にいるのである。

細胞も細菌も人間ではないが

その1つ1つが

それぞれの”生命”である。

その数え切れないくらいの

細胞や細菌たちとその働きによって

このボクは存在しているのである。

去年から

ナイハンチ道☆を始めて

身体を深く内観出来るよーになって

それを

痛切に感じ思うよーになった。

そんなボクは

フルコン空手でド突き合って

身体のあちこちで

たくさんの細胞や細菌がダメージを負ったり

殺されるよーな日々を

20年近く過ごして来たわけであるが

幸いなことに

ボクの細胞や細菌は

今のところ無事だったよーで

今は

ただひたすら

「いつもありがとう。」

って

感謝しながら

「今までごめん。」

って

謝りながら

ナイハンチ道☆に励んで

細胞や細菌たちが

元気になるよーにやって

マジで

心で語りかけるのである。

すると

細胞や細菌も”生命”であるから通じる!

のである。

筋肉、骨、内臓、皮膚、髪・・・

すべてを感じ

すべてに語りかけるのである。

それを

”生命”である細胞や細菌は

とても

喜ぶのである。

そりゃ

そーである。

この子たちは

その神に与えられた使命は

ボクを存在させること!

ただそれだけの無償の愛の働きなのであるから

そのボクに思いを向けてもらえたら

心から愛されたら

相思相愛♡

愛♡のギブ&ギブ!

そこに

本当の愛♡が生まれるのである。

この愛♡を育むのが

ナイハンチ道☆なのである。

 

そこで大切なことが

”立ち方”と”呼吸”なのである。

立ち方は正中線と丹田に通じ

呼吸はそこに流れるエネルギーを運ぶ役割をするのである。

これが出来ない者は

どんなに凄い動きをやれても

どんに力があっても

細胞や細菌たちを酷使するだけである。

また

それは

”自我力”であり

特定の部位を特定の運動神経で使うだけで

使われない細胞が多く眠りに就いてしまうのである。

それが

加齢と共に”老化”なんて言われる現象で

身体が固くなる…

動きが鈍くなる…

慢性病や慢性痛…

など

これらは

自分を生かし活かせるための細胞たちを

その一部だけを酷使して来たからである。

でも

眠りに就いているだけであるから

起こせば目覚める!

生きてるんだから当たり前である。

 

ちゃんと立って

正中線と丹田で

静かな呼吸をするのである。

”生きる”とは”息る”こと!

である。

 

ナイハンチ道☆極意!

でした。

 

咲 心太郎

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