先日、新里先生から”小論”が送られて来た・・・
その”小論”は
新里先生が今のボクと同じ年齢の頃に
本に書いたモノで
空手とその型について
ご自身のお考えや解釈を述べた内容だった。
とても素晴らしい内容で
また
めちゃくちゃ深イイ内容に感動した。
他の武道や
スポーツとなってしまった空手との違い・・・
また
武術と武道の違いも
詳しく述べられていて
凄く腑に落ちた。
そんな新里先生は
今現在もなお
それを実践されている!
ボクの身体の奥から
身震いが起こった。
あ!
そう言えば
オレも
昔は
武術って何や?
コレを追求してたっけ?
武術の空手とは何や?
って
毎日のド突き合いの中で
独りで
こっそりと探ってた。
で
勝つか?負けるか?
じゃなくて
殺すか?殺されるか?
で
毎日
コンクリートの壁に正拳をブチ込んだり
”砂袋”を蹴り込んだり
全身を鉄アレイで叩きまくったり・・・
身体を”武器”いや”凶器”に仕上げてた。
けど
当時のボクは組手が弱っちくて
いつも
ぜんぜん敵わなかった
2人の人にボコボコにやられては
アバラや胸骨を折られるわ
ゲロを吐きそーな突きや
立ってられねーほどの蹴りを喰らっては
悶絶する毎日で
「このままじゃ殺されるやん。」
そして
ボクの心は
死ぬか?生きるか?
ってなとこに辿り着いた。
それで
殺されないために!
徹底的に”受け技”を磨いた・・・
どんなに強い攻撃であっても
喰らわなければ何の問題も無い!
そんな答えを見つけて
じゃー
相手の技を見切るには?
という
新たな問いが生まれて
ボクは
心と精神という
深い意識の世界へと歩み出した。
そして
いつしか
”死”とは何ぞや?
ってなことになり
ある意味で
”死”を探す?
そんな人生を歩み始めたのだった。
そしたら
”死”というモノは
それを
連想させる問題を
ボクの人生の中に次々と起こしやがった・・・
もう勘弁して~
ってな
ボクの叫びなんか
一切聞き入れてはくれず
これでもかッ!
ってなくらい
問題を起こされて
ボクは
”死”を意識した・・・
が
そんな時に
”師”に出会った。
”死”を探したら
”師”が見つかったのだ。
そして
不思議な力を体験させてもらい
ボクの心が咲いたのだった。
それからは
この不思議な力で
みんなの心を咲かせたい!
知らぬ間に
ボクの空手の目的が変わってた。
そして
咲心空手☆が誕生したわけである。
この咲心空手☆は
武術であり
愛魂道である。
どこにも無い!
前代未聞の空手なのである。
最早
フルコン空手などではない。
武術として求めるか?
愛魂を求めるか?
そのどちらかである。
出来れば
両方を求める人が
たくさん増えることを願ってる。
新里先生の”小論”を読んで
ボクは
まだまだ”型の練度”が浅い!
それに気づいた。
空手とは
型なのだ!
型こそが
空手であり
その型には
無限の可能性が秘められている。
それは
その型をやる者の
心
精神
意識
その深さや高さによって
型から
その技が生み出される。
その力は
スポーツ空手のよーな
1+1=2
そんな世界ではなくて
1+1が
100にも1000にも10000にだって
成り得る世界なのだ。
ボクは
武術って何や?
ココへ戻って来た。
これからは
生涯をかけて
型をやり込んで
身体と心に練り込んで
ボクは
愛魂と共に
未知なる武術の世界の深淵へと向かう。
人生は
勝つか?負けるか?
ではない
死ぬか?生きるか?
その連続である
”生”の裏っ側には
いつだって
ずっと
”死”がつきまとっている
これを
ボクらは
愛魂に溺れて
また
平和ボケで
いつだって
その
”死”ってやつに守られる
ってことを忘れてた
武術は
それを
教えてくれる
空手の型は
その力を
大きくしてくれる
そして
いつか
ボクは
本当に
優しくなれるのだろう
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