ナイハンチ道って何?

いきなりですが

あなたには次の感覚がありますか?

・正中線が在り、通った感覚

・丹田が在り、その力で動く感覚

・身体全体が統一した感覚

・骨で動く・骨を動かす感覚

さて

どーですか?

これらは

何となくあるよーな…

とか

何となくわかるよーな…

ってなことではなく

あなたは自転車に乗れますか?

この質問に答えるくらい

明確なものです。

さて

どーですか?

1つあった?

2つ?3つ?

いやいや

この正解は

全部在る!

もしくは

全部無い!

そのどちらかでしかありません。

この4つの感覚が自覚できない人は

自転車に乗れますか?の問いに

乗れません!

っていうのと同じことです。

どれか一つでも自覚が在れば

4つ全部が在るのです。

それは

”ゴール”ではなくて

そこからが

本当の進化・深化の”始まり”なのです。

 

ボクが創った”ナイハンチ道”は

ナイハンチを極めて行く!というのは

もちろんなのであるが

それは

「内へと歩み進む」の型であるから

自分自身の内側へと

深く歩みを進めるということであり

その自分をナイハンチに表す!

ということなのである。

それで

ナイハンチ道では

ナイハンチ型をやる基本中の基本が

”立禅”という

腕を”輪っか”の形にしてただ真っ直ぐ突っ立ってる!

コレである。

この立ってる時に

頭のてっぺんから足の先まで

身体のあらゆろところに意識を向けて

ひたすら身体を弛緩させるのである。

また

この時に

勝手にグルグル回る思考や

知らずに緊張してる心の状態にも気づき

身体・心・精神・意識

とにかく自分の全てを緩めるのである。

身体に意識を向けて緩めてると

知らぬ間に心が緊張していたり

心を緩めていると

今度は身体が緊張していたりと

まぁ

自分というモノが

自分ではままならない!

ってことに気づくよーになるのである。

それを

根気よく続けていると

”自我”ってやつが観えてくるのである。

その時に

”天と地を繋ぐ力”が通ってるのを感じて

「立たせてもらってる。」

ってことがわかるわけで

その力が正中線である。

その瞬間

あとの3つの感覚も感じて見つかるのである。

ココで

その感覚でやるナイハンチが

”自分そのもの”になるのである。

それは

これまでの自分とは

他人から見れば何ら変わらないが

自分から観れば

その身体も心も感覚も

まるで別人のよーに思えるのである。

そんな

ココからが本当の始まりで

自分の無限の可能性を感じるよーになるのである。

無限なんだから

”終わり”も”ゴール”も無いのである。

 

そんな”立禅”とは・・・

坊主が座ってやる”座禅”は有名であるが

立ってやるか?

座ってやるか?の違いなだけで

どちらも

”禅”なのである。

型などの稽古は”動禅”であり

動いてやる”禅”なのである。

寝転んでやれば”寝禅”となるわけで

動くより立って…

立ってより座って…と

その方が楽チンで簡単なわけであるが

”武術”の場合は

”座禅”や”寝禅”では使えないのである。

だから

立禅をやって型稽古で動禅をやるのである。

つまり

”禅”で在る状態で

ナイハンチをやるのである。

「”禅”って何や?」

って

きっと

みんな言うんである。

 

30年近くも

こんなことを学び実践しながら生きて来て…

そんな昨日は

みんな一人一人が”和”で

その”和”が集まったのが”大和”(やまと)で

それが

”大和魂”であり日本人だと思う。

って

お弟子さんたちにLINEをしたら

その一人が

「”和”と”大和魂”について教えてください。」

って。

みんな

頭だけで知りたがるのw

ボクが見つけた”答え”は

あなたらの”問い”になるんや。

その”答え”は

あなたの中に在る。

 

”禅”とは”和”であり

”和”とは”愛”なんだ

これを

深め高めてくのが

”ナイハンチ道”です。

これが

ボクが見つけた

答えであり

お弟子さんたちには

問いとなり

それを

稽古をやりながら

肚と胸で知って行く・・・

それが

己の道となるのである。

その道の途中で

答えが見つかり

また

歩き続けるのである。

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