「一つの善なる心」。

まだ若い女子プロレスラーの方がお亡くなりになったそーであるが、

ネットでの誹謗中傷にお悩みになってたとのことである。

もし、それで心が潰れてしまったことが原因ならば、

ワタシの空手に来れば少し心を改善してあげられたけれど、ご縁がなかったのである。

プロレスラーというと、「強い」というイメージであるけれど、

肉体が強かったら、必ずしも心も強いというわけではないのである。

また肉体を異常に鍛えたり、強くしているのは、大体は心の弱さの現れなんである。

現代人は心のことを学ぼうとしないし、教わりもしねーから、

心というモノや自分の心というモノがわかってない人が多いのである。

また、現代社会では、イジメや暴力行為、そしてハラスメントなど、

強者と弱者、敵と味方、勝ちと負け、正義と悪・・・

一つの物事を「善と悪」の2つに分けて、イイ人とワル者に別けて裁くのである。

もちろん、自分がイイ人で、相手がワル者である。

しかし、心というモノが創り出す物事や事象は、

その一つの物事が良いことならば、どちらも「善」であり、

さらに「善」の心になり、

その一つの物事が悪いことならば、どちらも「悪」であり、

その「悪」に気づけば「善」の心になるのである。

このように、心というモノは、「善」に向かうように出来ているのである。

また、心というものは複数で成り立っていて、「単体」では成り立たないのである。

それは地球人類の心というモノが、元々は「一つだった!」からである。

そしてまた、その元々の心は「善」なのである。

よって、物事は元々一つだった心が分裂を重ねて生まれきたアナタとワタシ、

その他人の心と自分の心が生み出したモノなのであり、

その物事は、その他人と自分のその心が「善」になるために起こったのである。

もう一度言うが、すべての心は「善」に向かうように出来ているのである。

何故なら、どの心も、元々、「一つの善なる心」から生まれたからである。

その別れた「善」と「善」が、他方との違いを「悪」として、

「悪」が生まれ、「悪」を知り、「悪」を経験し、そして「善」になる。

この繰り返しをいろんな物事で経験するのが人生である。

アナタの「悪」はワタシの「善」、ワタシの「悪」はアナタの「善」で、

それによって、それらを合わせ、元々の「一つの善なる心」を知るのである。

「一つの善なる心」から生まれた、すべての心は「善」に決まっているのである。

この「一つの善なる心」に向かわない、その「善」と「悪」が苦しみとなるのである。

この「一つの善なる心」に向かわないことが、唯一の「悪」なのである。

その「悪」を捌くのは、人間の仕事や領域ではないのである。

これ、わかる?、心が楽になれますよー。

咲 心太郎

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