小っちゃな頃から悪ガキで~、15で不良と呼ばれたよ~♪
ナイフみたいに尖っては~、触るもの皆、傷つけた~♪
と、チェッカーズのギザギザ♡の子守歌♪のまんまだったワタシ。
まぁ、尖ってましたねー、お恥ずかしながら40過ぎくらいまで。
成人になってからでも100人で済まんでしょ、怒鳴りつけたり・・・したの・・・。
もう、みんなが敵にしか思えなかったんやろうね。
で、この場を借りて、100人以上の怒鳴りつけられたり・・・された・・・皆様、
大変申し訳ございませんでしたー。
と、一応、謝っておこう。って一応かよ。
しかし、今の若い子たちはみんなイイ子やね。
ワタシは中学の反抗期になってからはワルさをすることが
ワタシの正しさ!みたいに生きて、ワルさをするごとに胸を張れたもんねー。
目が合っただけで「何、ガン飛ばしてんやー。」とケンカ勃発の時代。
そんで空手という闘う世界に入ったワタシ。
で、ますます尖った心が大きくなっていって、ますますケンカばっか。
そんな対立の世界にどっぷりとハマり、どんどん対立が大きくなっていって・・・
調和の世界というものを知ったのだった。
対立の世界と調和の世界がある。武道では調和の世界、調和する心を説かれる先人や偉人が多くいる。のに、そんな教えもどこ吹く風の異人のワタシは対立の世界、対立の心、対立の空手に精を出してお励みになっていたのである。そんで争い闘えば全勝である。対立の世界は力対力である。力のある方が勝つのである。闘う心が大きくて闘う心の強い、闘った経験が多いヤツが勝つのである。そんで勝つごとにワタシの対立の心も大きくなっていったのであるが、ある日、組織力というモンとの対立で完敗を喰らったのである。どうあがいたってワタシ個人の力では組織力を相手に敵うはずなんてないんである。ボロ負け絶望してから知るなんて相当おバカなワタシなんである。が、なんでか知らんけど、この完敗をきっかけに調和の心が芽生えたのである。相手が「強」で来たら「弱」で、相手が「押」で来たら「引」で、相手が「剛」で来たら「柔」で・・・相手と同じになるのが調和だと思っていたけれど、実は相手と反対になると調和が起こるんである。イヤな相手と反対になればいい!とわかったんである。これが本当の反抗である。反抗はワタシの十八番である。相手が喋ったらこっちは聞くんである。これが一番わかりやすい調和である。ただ、相手の「強」によって仕方がなく「弱「にならされたのでは調和は起こらず、自ら意図的に本気で「弱」になると調和するんである。相手の「強」に対して自分が「弱」になるのは楽なんである。がんばる必要もないんである。相手が強くて速くて剛い手で突いてきたら、弱くてゆっくり柔らかい手で受けるんである。そんで調和が起こるんである。外見では「弱」をやった方が負けて見えるが、調和を意図的にやった方が「場と相手」を制したことになるんである。その相手は調和させられた瞬間、知らずにこちらの「弱」と同調しているんである。で、そのままでも良し、または、あまりおススメはしないが今度はこちらが「強」と出ても良し。である。これらの話はすべて心の世界のことである。「柔よく剛を制す」とは相手の強い心に対して意図的に本気で弱い心になって制するのである。もう一度言うが、この意図的に本気で!ってのが重要である。そのためには、心に使われる自分を卒業し、心を使えるようになる必要があるんである。稽古精進で自分の心をコントロールする力を育てるのである。そしてこの武の道を歩む者のその先には相手を前にしても敵が無い、無敵の状態という、もっとスゲー完全調和の世界が垣間見えたりするんである。これは頭でわかってもダメなんである。心で知るのだ。この心は自分で体験して知るしかねーし、そこからまだまだ先もあるようである。
昨日、突然、ワタシにとって敵と思えるような方が起こしになられたのである。
昔のワタシは、勝手に心が身構えて臨戦態勢の心とキツい顔で出迎えたのである。
昨日のこの相手には、分が悪い、弱い立場のワタシなんである。
そんで、相手はいつもそんなワタシに対して「強」の態度である。
で、昨日は、意図的に本気で弱い心になり、笑顔で出迎えたのである。
そんで、昨日のブログの「後の先」と「後先の先」を取って会話をし、
ものの2、3分でワタシの言いなりになって相手は笑顔でお帰りになったのである。
闘わずして勝たず負けず。である。
「こんなに簡単なことだったのか・・・」
と、今日のブログである。
武♡ってスゲーな。
中学や15のときにコレを知ってたら・・・。
ま、今頃でも、知れてやれたから良かった・・・かね。
ワタシのブログを読んで・・・いばらの道を歩む人が少なくなりますように。
咲 心太郎
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