今朝も6時過ぎ頃に
家の後ろのパチンコ店の駐車場から
人の声や球を打つ音がして目が覚めた・・・
そんな早くからパチンコやってんの?
いやいや。
後ろの家の親子が、
野球の朝練をやってる・・・
まだ、小学3、4年くらいの子供がさ、
朝の6時頃から練習ってさ、
「偉いね~!」
なんて思う、ボクではない。
バカなんか?この親父は・・・
そんな小さい子にさ、
学校という仕事があるのにさ、
何をやらせてんのよ!
「オマエがやりたいって言ったからやってんだろーが・・・」
なんて怒ってる声も聞こえたっけ。
こーして、
親から一方的な、その欲を押し付けられ、
子供の個性や将来の可能性は奪われて行く・・・
命令口調でさ、
あーだ、こーだ、
あーしろ、こーしろ、
あーでもない、こーでもない・・・
そんな小さい子供がわかるわけねーだろ。
なのに、
どこまでも言い聞かせてやらせよーとしてる。w
また、
つい最近は、
「少年野球のバットが1本3万円くらいする・・・」
なんて、
バカげた話も聞いて、失禁・・・あ!違う、失神しそーになった。
なんでも、
そんなバットは、よく飛ぶ!そーである。
今の時代の親たちとその子たちは、
みんなプロ野球選手にでも成れると思っているんだろーか・・・。
朝練やって…学校から帰ったら、
今度はチームでの練習・・・
そりゃ~、プロに成れる⁉よな。w
15年後くらいには、
プロ野球選手が大量発生⁉ってか。w
早く、目を覚まそーぜ。
ボクも、
小学生の頃は、野球が何よりも大好きだった。
そんなボクらの時代は、
バットなんて、1本がたしか2、3千円くらいで、
さらに3、4本のバットをチームのみんなで使ってた。
また、バットを遊びにも使ったから、
どのバットもべコべコに凹んでた。
だから、
打つ時は、凹んだ部分にボールが当たらないよーに工夫してやってた。
また、
ピンポン玉と、長さ20㎝、直径数㎝の小さなバットで、
野球の遊びもたくさんやった。
小さなピンポン玉と小さなバットでは、
最初は、なかなかバットに当てられなかったが、
その内に慣れて、普通に打てるよーになった。
それで、
たまに真っ新のバットが与えられると、
いつもよりも、よくボールが飛んだ!安物のバットだったけど。w
そんで、
小学校の中では、ボクが一番、野球が上手くなれた。
でも、学校の中で野球が一番上手いからって、
そんなものはボクの人生では、
何の役にも立つことはなかった。
今の子供たちは恵まれている・・・
その大人たちから与えられる、「知識」と「物」に。
で、
どんな競技においても、
ボクが高校生の時でも知らなかったよーな、
トレーニング法や技術を小学生の頃から学んでいる。
で、
ボクらの学生時代とは比べ物にならないくらい、
どの競技においてもすごい進化をしてる。
そら、そーだ。
よく飛ぶバットや、速く走れるシューズ・・・
バットの振り方や走るフォームまで、
何から何まで、
小学生の頃から余るほど与えられているんだから。
しかし、
ボクは、
今より、その恵まれてなかった子供の頃に・・・
何ものにも代え難いモノを得ていた!
ということがわかった。
それは、
べコべコのバットで、どーやってボールを飛ばすか?
とか、
小さなピンポン玉を、どーやって上手く当てるか?・・・
と、
あーでもない、こーでもない、
あーだ、こーだ・・・
それを他人から言われるんじゃなくて、
自分の中でやった。
そして、
ボクは、知らぬ間に
「智恵」という力を手に入れていたのだった。
この力は、
小学生の頃の野球だけじゃなく、
むしろ、
その頃のいろんな「遊び」の中で、
培われたよーだ。
ま、
親や先生には、よく、
こっぴどく叱られたもんだが・・・w
で、
ボクの場合は、
正確に言うと、これを「悪智恵」とも言う。w
今の子供たちは、
どんどんと与えられ、恵まれているが、
その裏で、
「どーすれば?」
「こーすれば!」
という自問自答・・・
その「智恵」という力がどんどんと奪われている。
だから
もっと、子供たちを遊ばせろ!
どーせ、
プロになんか成れねーよ。
で、
何かのプロに成れん子は、
ちゃんとお勉強をしなさい。
お勉強がイヤな子は、
いっぱい遊んで「智恵」をつけておきなさい。
スポーツが上手くなっても、
人生の役に立つことは少ないが、
「智恵」は大いに役に立つんだぜ。
あの「アイキ♡」だって掴めちゃったりするんだぜ。
要らんてか。w
ま、
自分が本当に「やりたいこと」、「好きなこと」、
それを見つけた時には、
どなたにも、この「智恵」が必要になるのだ。
って、
後ろの家のおバカちゃんに言っても通じねーだろーから、
こーして、
ブログに書いてみました。
え!
ここでも通じねーってか・・・
ありゃりゃ。
ま、いっか。
ちなみに
ボクの空手はサイコーの「お遊び☆」です。w
あらら。
咲 心太郎
コメント
咲 心太郎様
私も、同じような幼少期を過ごしたように思います😊
オモチャを買ってもらったのは、一度しかないし、(マジックハンドと言う、手動で伸びて物をつかむ玩具でした)、小学生の低学年の頃から、漁師の家の習わしで、魚の料理をさせられ、遊びといっても魚釣りで、釣り竿を裏山で取り、魚のエサを川や海岸出取り、釣ってきた魚は、釣ってきた本人が料理するのがルールでした😨 今のように、道具も技術も情報も、お金で買うようなコトはせず、必要なコトは工夫して補うのが子供の頃からの習慣でした😊
きっと咲先生も、同じように、「与えられる」よりも「作り出す」コトで、色々な能力を獲得していかれたのだと思います🌷
「無」から「有」を得る過程は、今でもありがたい学びです😊
ヒデヨシ
ヒデヨシ様
人生は、良いと思ったことが良くなかったり、
良くないと思ったことが良かったり・・・
自分でよく考えないとダメですよね。
「無」から「有」を得る過程・・・
そー言えば、ボクのお師匠さまの一人☆から、
「無」から「愛」が生まれた・・・
そんな言葉をいただいたことがあります。
自分で「作り出し」、他人に「与えられる」よーに
ないたいナと思っています。
また、このお師匠さまは
「愛」を「思いやり」っても教えてくれました。
なのに、
まだまだ「重い槍」を手放せてないボクであります・・・笑
今日も良い一日を~♪
咲 心太郎