子は親の心を映す鏡☆

今朝の新聞に4歳の女の子が虐待死・・・またである。

殺されたこの子も不幸であるが、親も、この先は生き地獄という不幸な人生である。

みんなしつけだと言ってやるんである。

で、どんどんエスカレートしていって、こういうことに成るんである。

ま、多くの場合は、ここまでは行かずに済んでいるだけなんであるが、

ここまで行かない虐待は、そこらじゅうでおやりになっているんである。

そこまでやらない親たちは、今回の虐待死させたこの親を

「ひどいことするのねー。」「ろくな人間じゃないわねー。」

なんて他人事で言うてたりするんである。

しつけの名の元に、自分の思い通りにならない子供を怒るその心は、

程度の差はあれ、この虐待死させた親と同じ心であることを知らないのである。

我が子を思い、我が子のためだと言いながら

本当は自分の思い通りにならないから怒っているとも気づかない親が多いんである。

中には、仕事とかのストレスを子供に八つ当たりしてたりすることもあるんである。

ま、親に殺されるよりは、怒られるだけで済んだ方がマシではあるけれど、

親の激情やマイナス感情を多く受けた子のほとんどは不幸な人生になるんである。

神が人間の脳みそをそのようにお創りになられたのである。

未就学の子供の脳みそでは、大人の思考は出来ないのである。

小学5,6年か中学生になってようやくわかり始めるくらいである。

そんな脳みそには「挨拶しろ」とか「散らかすな」とか・・・

大人の思考では何でもないようなことも、子供の脳みそには入らないのである。

だから、挨拶しなかったり、散らかしたりを繰り返すんである。

で、いくら言うても言うことを聞かないからと怒るのである。

怒られると、子供は言うことを聞いたりするわけである。

でも、それは、脳みそで理解したのではなくて

怒ってる、その親が怖いからその場だけ言う通りにするんである。

このとき、親のマイナス感情を受けた子供の脳みそは

マイナスな脳みそへとお育ちになるのである。

繰り返せば繰り返すほど、マイナスな脳みそが大きく育つのである。

そして、中学生の頃から自我が大きく育ち出す頃には、

マイナス感情、マイナス思考がバリバリの人間となるんである。

活発的な子は悪態をつくようになるし、おとなしい子はネクラになるんである。

まぁ、どっちへ進んでも、あまり幸せではないのである。

「三つ子の魂、百までも。」

小さいときのしつけが大事だと思うような言葉であるが、

3歳児以下の脳みその思考力はほとんど無いのである。

思考する脳みそがあまりないということは

感性の脳みそが主体ということであり、

その感性の脳みそは感情の影響をモロに受けるんである。

だから、小さい子供たちには、「良い感情を与えろ!」ということなんである。

思考する脳みそが小さい間に、親や大人たちから一方的に与えられた感情が

その子の人生の心の根幹を創るんである。

だから、どんな子でも小学生の間くらいまでは、しつけよりも「愛する」んである。

そして、たくさん好きなことをさせて遊ばせてやるんである。

そうすれば、優しい心の人間になり、心を伸び伸びさせながら人生を歩むんである。

これはダメ、これもアカン、と育てれば、ダメな子、アカン子になるんである。

こうするとイイよ、こうなれたらイイね、と育てれば、イイ子になるんである。

子供の心はとても純真で素直なんである。

子は親の心を映す鏡☆なんである。

そして、子は親を、その子の親らしい人間に育ててくれているのである。

なので、親が子を育てることを恩に着せちゃーいけないのである。

また、どんな子供にも、大人の脳みそでは想像も出来ないほどの

無限の可能性があるということを忘れちゃいけないのである。

この話は、空手の神ちゃまの教えなので、科学的根拠なんてねーのである。

でも、「信じるものは救われる。」のである。

また、マイナス脳に育ってしまったとしても、

空手を正しくやればプラス脳に変わっていくんである。

世の中にプラス脳が増えれば、こんな悲しい事件もなくなるんである。

咲 心太郎

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