今日も、さらに布マスク8000万枚配布とか、消防士が集団で10代女性に性的暴行とか、
「神になりたい。」と言うて見ず知らずの人に車で突っ込んだ・・・と、
まぁ、笑えるような笑えない話題でいっぱいの日本である。
あれだけ不評だったマスクをまた配るの?
「法を守れ」といつもワタシにエラそうな態度を取る組織の人間が集団で性的暴行?
「神になりたい」から人を殺す?
こんなイカレポンチの話題を見ると、自分が正常に思えて来て救われるのである。
で、ちゃんちゃら可笑しいのである。
けど、被害者の方がいるから笑っちゃいけないのである。
でもスゴいね、地球劇場という舞台は。
これだけのいろんな役者を揃えてさ、これだけのストーリーを誰が創ったんだ?
神さまに決まってんだろ。
その「神になりたい。」と言って人を殺すような人間も神が創ったのである。
ぎゃはは~。
やっぱ、笑ってしまうのである。
神というのは真性のバカなんである。
善悪の区別もつかないのが神なのである。
その神は人間を通じて善悪を学んでいるのである。
誰だー、神をバカ呼ばわりしてるヤツはー!
神は真性のバカなんであるが、とんでもねー「力」なんである。
で、その「力」のお裾分けをいただいてワタシらは生きているのだけれど、
そのお返しという使命が、このバカに「善」を教えることなんである。
そんで人間に教えられて喜んだこのバカは、また「力」を注いでくれるのである。
そうして、その「力」によって、人間は、それぞれの人生を生かされるのである。
その「神に教える」という行為は、「何を思い、何をするか。」ということである。
イイことを思い、イイことをすれば、その「力」を注いでくれるし、
ワルことを思い、ワルことをすれば、その「力」を注いでくれるのである。
ということで、神に「願いごと」なんてーのは、届かねーのである。
日常生活の「思い」と「行動」と、日々の「祈り」だけが届くのである。
神は、それに見合った「力」を与えるのみ!である。
その「力」を注がれたならば、「神になりたい。」と真剣に思って、
他人さまに車で突っ込むようなこともやっちゃうわけである。
過去にはサリンという劇薬をばら撒いて神になろうとしたバカもいるのである。
神というバカから生まれた人間もバカなんである。
この神というバカが創った人間というバカが支配してる地球では、
まだしばらくは、バカな演劇が繰り広げられるのである。
お楽しみあれ~♪
昨日、生まれて数日のツバメのヒナが一羽、また巣から落っこちていたのである。
ワタシが見つけたときにはもう、「虫の息」の状態だったのである。
そんで、師の一人からもらった「炭光」という、
不思議なパワーのある棒を手に持ち、ワタシの手のひらで「氣」を当てると、
足や身体がピクピクと反応を示して動き出したのである。
「何とか助けてやりたい。」と思ったけれど、
ワタシには、それ以上、どーすることも出来ねーのである。
で、「痛くないか?苦しくないか?」
痛みが消えるように苦しくないようにと祈りながら、氣を当てたのである。
で、「安らかに逝けますように。」と、祈りながら、
「今度生まれるときは人間に生まれておいで。」と話しかけてお別れしたのである。
で、今朝、また土に埋めてあげたのである。
このように何の罪もない、生まれたばかりのツバメの赤ちゃんですら、
神というのは、お殺しになったりするのである。真性のバカである。
「ツバメの赤ちゃんまで殺すなよ、バカヤロウ!!」
この「ワタシの心の叫び」から、神はまた学んでくれるはずである。
しかし、神をこんなにバカ呼ばわりしてもいいんだろーか。
ホントにバカなんだからしゃーない、しゃーない。
って、オマエがバカだろ。
咲 心太郎
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