「深層筋」と「心」。

昨日の道場稽古は、ミット打ちと組手を重視した稽古日なので、

ミット打ちと組手をやったわけである。

で、他の曜日は基本や型を重視した稽古をやっていて、

稽古生のみなさんは、基本や型の立ち方、身体の使い方、力の出し方が、

最近は凄く良くなってきているのであるが、

ミット打ち、さらには組手になると、

基本や型の時の立ち方、身体の使い方、力の出し方が崩れてしまって、

なかなか思うように出来ないよーである。

咲心館の武道的、武術的な、良い立ち方などというのは、

身体を弛緩する。

ということに尽きるのである。

この弛緩するというのは、柔軟体操などをやって「体を柔らかくする」のと違って、

「体を緩める」という感覚的なモノなのである。

で、「体を緩める」には、「表層筋」、いわゆる自意識で動かせる筋力を

ぜ~んぶ抜く。

すると、無意識で働く「深層筋」が使えるようになる。

のである。

この「深層筋」というのが、凄い「力」があって、凄い「働き」をするのである。

で、「体を緩める」と言っても、緩め過ぎれば「腑抜け」になるし、

締めれば「表層筋」が主体となって働いてしまって、

「深層筋」の「力」とその「働き」は隠れちゃうのである。

ここが難しいところで、とても繊細な感覚を要するのである。

そんで、基本や型の稽古の繰り返しで、

「表層筋」を緩めて、「深層筋」が使えるように意識してやるのである。

で、だんだんとちょうどイイ感覚が研ぎ澄まされ、良くなっていくのであるが、

ミット打ち、そして組手になると、どーしても、んでしまうのである。

なんでかな?

基本や型は、相手もいなくて、素振りであるのに対して、

ミット打ちや組手では、相手や当てる対象物があるからである。

で、人間の身体と心は密接に結びついているから、

例えば、ミット打ちのときは、

「イイ突きを打ってやろう。」

とか、

組手のときは、

「相手の攻撃をもらいたくない。」

など・・・

いろんな、「やってやろう」とか「やられたくない」という心が働くのである。

その「やってやろう」は力みとなるし、「やられたくない」は緊張で力むのである。

なので、武道、武術では、

心というモノを重んじるのである。

心を観ずして、武道、武術の技の上達はあり得ないのである。

ならば!と、心を重んじ心を観つめ、稽古精進に励むと、

相手の突きや蹴りを喰らいそうな時でも・・・

どんなときも動じない心。

「不動心」になれちゃったりするのである。

で、ミット打ちの時も組手の時もどんなときも「同じ心」でいれるのである。

まずは、ここを目指すのである。

で、その「不動心」をさらに柔らかく緩めていくと、

「合気」や「アイキ♡」が発動♪

するのである。

で、バカと呼ばれる…のである。

どーする?

咲 心太郎

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