さっき、昔、一緒に空手をやってた他流派の方が
開店休業中のお店なのに久しぶりに来たのである。
「空手どぉ?」
と、聞かれたので
「楽しくやってるよ♪」
と、答えると、
「自分のところは2,3人しか稽古に来なくなった・・・」
ってな話になったのである。
この方は10年くらい前に独立して自分の道場を立ち上げて、
当初は10数人から20人くらい稽古生がいたのであるが、
それが今じゃ~、2,3人なんだそーである。
けれど、稽古に来ねー、連絡もねーだけで、みんな在籍はしてるそーである。
ま、ワタシにも、前道場時代から、また咲心館になってからも、
稽古に来なくなったり、連絡もない人が何人かいるのであるが、
これ、学校や会社で考えたらどーなんだろーね。
先生や上司に無断でずっと休むってどーなのよ。
まぁ、趣味の空手なんかと学校や会社を一緒にすんな!と言われるのだろーが、
友だちと遊ぶ約束をすっぽかすとか、飲み会の約束をすっぽかすとか・・・
そんなヤツはあまりいねーと思うのである。
なので、空手は友だちとの遊びや飲み会よりもさらに格下ということである。
もちろん、お休みの連絡や空手を離れる際の礼儀をちゃんとしてくる人もいるけれど、
空手に黙って来なくなるなんて~のも、当たり前みたいになってるのである。
しかし、そんなことを平気でやってるヤツらが人間的には格下なんである。
いくら学校や会社で上手くやって評価をされたとしても、
本当の幸せや本当の成功を知ることはないのである。
本当の幸せや成功は、
「自分の心の中にしかない。」
そんな心では、見つかるわけがねーのである。
ま、突然、稽古にも来ねー、連絡もねー、
こんな自分のことしか考えない輩はまともに相手をしないのが得策である。
と、「礼儀を教えるのが空手の先生だろ!」と言う方もおられるのであるが、
咲心太郎は礼儀なんて先生が教えるもんじゃねーと思うし、
空手の先生なんだから、ただ「空手を教える」のである。
ワタシは「礼儀」とかを売りにするのは、指導者の怠慢だと思うのである。
と、空手に一生懸命に励んでいたのに何かの気変わりで辞める・・・
はたまた逆に、何もして来なかった人が「一念発起「して空手を始める・・・とか、
まぁ、人生とは「何をやるか。」、「何をやめるか。」の連続である。
咲心太郎は、30代までは「将棋」、40代からは「オセロ」に燃えたのであるが、
これも空手のためではあったけれど、いろいろ学べたのである。
で、「将棋」や「オセロ」は互いに一手ずつ交代で打ち、
自分が有利になるように駒を進めていくゲームである。
で、序盤、中盤と上手くやれて、ほぼ勝つだろーと思われるような展開でも、
たったの一手!で、終盤に逆転される!
なんてことはよく起こるのである。
ま、序盤から悪手を打ち続ければ、最後までボロ負けでもある。
でも、「その一手」を変えれば、その後の展開が変わる!のである。
で、人生というやつもゲームと一緒!だと思うのである。
この「将棋」や「オセロ」の一手一手のように
一日一日、一時一時、瞬間瞬間が、この一手一手と同じである。
今やったこと、今日やったことが、人生ゲームの中の一手一手になるのである。
また、今やらなかった、今日やらなかったのも人生の一手一手になるわけである。
人生の序盤・・・中盤・・・終盤と、この一手一手によって、
自分の人生の展開が変わって行く。
だから、今、自分の人生が序盤であれ、中盤であれ、終盤であれ、
またその人生が上手くいってよーが、いってなかろーが、
自分が「何をやるか。」、「何をやめるか。」という一手一手は、
死ぬという最後の時まで疎かにしちゃいけないのである。
何事も、「その一手」で最後までどーなるか?わからんのである。
まぁ、連絡をしないという一手を打って、人生が良くなるとは思えないのである。
で、その連絡もしねーよーなヤツらに気を揉むという一手を打っても然りである。
でまた、久しぶりに来たのに・・・
こんなヤツらに気を揉んだ話を気を揉みながら話しに来た、今日のこの方にも、
まともに相手をしない!
テキトーに笑顔で相槌するだけ!という一手を打ったのである。
自分の道場を歩み出すという、
「その一手」を打ったばかりの
咲心太郎にする話じゃねーだろ!
さて、こんな一手で、
今後のワタシの人生と咲心館がどんな展開になるのだろーか・・・
ってか、最近始めた「動画をやる」という一手は、どーやろ。
楽しみや♪
咲 心太郎
コメント