流れないんだ・・・

先日…

とあるお弟子さんからメールが送られて来た。

そのメールを読んで

”ボクの魂”が悲しんで泣いた。

これまでの25年間という

空手の先生としてやって来たことを

”全否定”された気分になった。

ボクという人間は

そこでヘコたれるよーな

”やわな心”は持ち合わせてはいない。

ふざけんなッ!

ボクは

その悲しみを怒りに変えた。

人よ

今の世では

”怒りは悪”とされているが

それは使い方の問題であって

怒りのエネルギーは

自分はもちろん

他人にとっても

勇気ある行動や

前向きな言動を起こさせる力だ。

人の魂は

和魂・荒魂・幸魂・奇魂

この4つで1つ!

それが愛魂で

荒魂こそ!

一番!パワーがある!のだ。

今の時代は

荒魂がほとんど働けなくなった…

弱い人間ばっか!

ってか

自我しか知らん人間ばっか!

みんな”自己虫”だ。

そんな

自分ってさ

一体何なんだろー?って

ちっと

勉強したらどーかね?

ボクのナイハンチ道は

それを教えるのであるが

そこで

自我が出しゃばった人には

注意や指導をするのだが

そーすると

ほとんどの人が

自分がバカにされた・・・

とか

自分を否定された・・・

とかって

イジけたり

ムカついたりするんだ。

自分を変えたい・・・

自分を良くしたい・・・

って習いに来てるんじゃねーの?

なのに

あなたたちの心は

自分を認めて欲しい

自分は正しい

って

自我を増強したいだけじゃん。

そんな人間には

自我を超えたところにある

愛魂も

そのナイハンチも

どんなにがんばっても

辿り着くことは無い!

ココに断言しておく。

ただ

自我を喜ばせたいだけの人には

ナイハンチ”道”ではなくて

ナイハンチ”倶楽部”として教えるから

申し出てください。

武術も含むナイハンチ道は

荒魂なくしては成り立たない。

ナイハンチ道を習う者は

イイ意味でも

ワルい意味でも

ボクの”恐ろしい荒魂”に触れることになる

それで

あなたの”寝ぼけてる荒魂”が蘇るのだ。

この30年近くは

ボクはいつだって

合気や愛魂に通じる空手を追求しながらやってるんだ!

無知なる者が

無学な者が

習う立場の者が

勘違いすんな。

イヤなら辞めればイイだけや。

オレは

独りになろーが

ナイハンチ道を育てながら

歩み続けるだけなんや。

 

まぁ

しかしなんだね

保江先生と新里先生という

その道の偉大な人に

「あなたの自由にやってがんばりなさい。」

ボクのことを理解してくれて

認めてもらえて応援してもらえてるのに!

ボクの周りには

それを理解してくれる者はいないという…

これまでは

ボクの指導力不足かな?

なんて

毎回反省してたけど

今回で

みんながわかがままなだけや!

ってことが

ハッキリとわかった。

保江先生や新里先生に否定されるのなら

仕方がないが

それを

習いたいという者に教える者が否定されて

こちらが折れるよーでは

その師弟関係はおしまいだし

ボクの教えの師である

保江先生と新里先生も否定されたことになってしまう。

何故?

”流派”って言うか?

知ってるかい?

流れてるんだよ!

何が?

知るかッ!

教えて欲しいって言うから

それを

掴ませるためにやってんだよ!

自分が正しいと思う人間は

独りで学んで行動して掴め!や。

 

真の愛魂は

ある瞬間

勝手に働く

ボクの意志とは全く関係なく。

それ以外の

ボクの意を通して働く愛魂は

真の愛魂のパワーの半分くらいだろー。

それでも

ボクの愛魂の前で

相手は何らかの反応が起こる。

この愛魂に対する反応で

その人の自我の程度がわかる。

愛魂を求める人よ

腹回り

腰回りを

特に緩ませるんだ!

そこに

自我で生きて来た

自念が

いっぱい

凝り固まって

溜めこまれていて

流れないんだ…

コメント

  1. 腹まわり 腰まわり ここに長い間に作ってしまった自我の固まりが大きいのや小さいのがたくさん埋め込まれどんどん押さえられ身動きがとれなくなっています。それが立禅にも表れていることも感じます。ひとつひとつ小さい固まりから取り外し緩めながら この道を真っ直ぐ歩きたいです。滞りなく清らかな流れに全身を満たされたいです。

    • おぉーーーッ!過去一や!笑
      焦らずにコツコツと・・・ね。