ブログを書こうとしたら、
店の前を爆音を立てて走り去る車が・・・
「うっせぇーんだよッ!バッキャローが。」
ってさ、
若かりし頃さ、オメーも爆音立てて走ってたろーが。
ワタシは自分勝手でわがまま気まま在るがままそのまんまの人間なんです。ごめんネ。
で、爆音を聞いたのでブログのネタを急きょ変更となりましたのである。知らんがな。
ワタシは元々けっこう敏感な人間だったのだけれど
「合気ウイルス」に感染してからは、
さらに特に「音」に敏感になっちゃったのである。
花火大会に行って近くで花火を見たりしたら「音」が頭のてっぺんから入って来て
「おぅッ」と声が出て、しゃっくりをしたような身体の反応が起こって大変なんである。
となりにいる嫁ちゃんに「恥ずかしいからやめてー。」と言われるのだけれど、
ワタシにはどうすることも出来ねーのでここ数年は遠くから花火を見るのである。
遠くから見てもデカい花火だと「おぅッ」ってなってダメである。困ったもんだ。
でもね、空手の組手では、
相手が動く前に察知するくらいの敏感さでもあるんだよー。
「どこかが良くなれば、どこかがマイナスになる。」
やっぱこの法則からは逃れられない・・・
空手が上達するには、マイナス覚悟で敏感になるしかねーのである。
空手において敏感になると良いところはいろいろあるけれど、今日は「音」について語ってみるのである。
言うまでもなくこれはワタシの事実であり真実であってどなたにも当てはまれないかも知れないし、何かしら足しになるかも知れないのである。
ま、何事も自分次第である。
ワタシは今までに何度も山に登っているのだが、立山で一度、白山で二度、「無音」を聞いたのである。
音が全く無い!のを聞いたのである。
ワタシの呼吸音しか聞こえず息を止めたら「無音」である。
そのうちの一度だけその「無音」の中で遠く離れたところからウグイスの鳴き声・・・「音」が「波」のようになって来るのを感じたのである。
もうその心地良さったらありゃしないのである。
山修行の疲れも吹っ飛んでもう天国極楽である。
それでワタシらが住む町では、寝静まった夜中でさえもずっと雑音を聞きっぱなしだったことを知ったのである。
ワタシらの住んでるところはうるせー世界なんである。
誰もがこの自覚のない雑音によって知らないうちにストレスを溜めさせられているんである。
ならばと仙人にでもなって静かな山へと移住して霞を食べて生きていけば良いのであるが、山は不便過ぎて暮らすのにはこれまたストレスが溜まるのである。
ストレス社会と言われて久しいが、これは人間関係の悪化よりもこの自覚のない雑音のせいだとワタシは思うのである。
たくさんの人工物を作って便利で住みやすくなったけれどそのマイナスがこの雑音なんである。
そんでみんなイラつきやすいのである。
それで「鳥の鳴き声を聞け」とブルース・リーが仰ったのである。
「倍音」というのだそうである。
今すぐにでも耳を澄ませば、町のあちこちでスズメやカラス・・・たくさんの鳥たちが鳴き声の中から「倍音」を発しているのである。
「倍音」は自覚が出来ないような音だけど、脳みそに届き癒してくれるというありがたーい「音」なんだそうである。
波の音、川のせせらぎ、風で木の葉が揺れる音、仏壇の「チーン」が消え入る寸前の音、良い歌手の歌声や良い音楽・・・もうたくさんの「倍音」が町にはあるのである。
楽器では尺八の「倍音」がスゲーそうである。
これらの「音」は聞こうとしないと、雑音に消されて自分の脳みそに届かないのである。
だから一日に数回、鳥の鳴き声や好きな音楽なんかに意識を向けて耳を傾けて聞くことをおススメする次第である。
脳みそと心が休まらずの状態では敏感にはなれず空手の上達も伸び悩むのである。
ま、空手が上達しなくても「脳みそ」と「心」が休まれば幸せ気分ではいられるのである。
是非、みなさま、毎日お試しあれ♪である。
本当の効果を知るには何事も継続である。
ワタシはもうここ15年くらいだろうか・・・
鳥の鳴き声を聞かなかった日は、ないのである。
でもやっぱり、
一番の「音」は音楽である。聞きやすいのである。
で、モーツアルトの音楽はブッチ切りで良いそうである。
ワタシはモーツアルトを5年くらい毎日聴いていたのである。
でも今は玉置浩二の「倍音」が今のワタシには一番しっくりくるのである。
癒しには自分の好きな音楽が一番イイかも知れないのである♪
オメーのこのブログが雑音だろッ!・・・このブログは「倍音」である!?
咲 心太郎
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