「足跡を残そう。」

今日も午前中は「BODY♡創整塾」で、

みんなと一緒に体を捻じ捻じ♪やって緩めたのである。

みんなでやると、氣の巡りが良くなって、身体はより一層、緩むようである。

しかし、60歳と60歳手前のお二方は、「ヒィー、ヒィー」言うたり、

悶絶したような顔になって捻じ捻じ♪、ワタシの期待通りの身体の固さである。

まぁ、長年、空手をやって来て、

身体を固める稽古や、ある特定の動きばかりをやってたのであるから、

身体が固くなったり、身体を思うように動かせないのは仕方ないのである。

たとえば、10代の若者であっても、怪我や病気などで入院して、

1ヶ月ほどベッドの上で過ごせば、すんなりとは歩けなくなってしまうのである。

なので、このお二方も老化のせいで動かせないのではなくて、

長年、動かさなかったから動かないのである。

動かさなかったら身体は固まるのである。

なので、少しずつ動かせば、少しずつ緩んでいくのである。

で、なんとか継続してもらって、是非とも、このお二方には、

「咲心棒☆」体操の素晴らしい効果・・・

血流ビュンビュン♪、氣流ビュンビュン♪

を体感して、今後の変化にビックリしていただきたいもんである。

今よりは随分と肉体が若返るハズである。

そして、体操の後は、「合気」の稽古である。

こちらは身体ではなくて、心を緩め、相手と「調和」するのが狙いである。

しかし、この不思議な「合気」というモノの稽古には、

みんな少々戸惑うようである。

まぁ、「対立」するように創られた現代人間、

相手と「対立」する意識が働くその脳みそを

正反対の「調和」にしなければいけないのであるから、

言うは易し、行うは難し。

である。

「アナタはワタシ、ワタシはアナタ。」

にならないと「合気」は働かないのである。

「対立」の意識は「アナタはアナタ、ワタシはワタシ。」であり、

これが普通の意識であるから、

「ワタシがアナタを何とかしよう。」

「アナタをワタシの思い通りにしよう。」

という意識が働いて、なかなか「合気」が出来ない人が多いのである。

そんで「対立」、ケンカや争いが絶えないのである。

ケンカを売られても「調和」しちゃえば、ケンカにならないのである。

ま、売られたら買っちゃうワタシが言うのもアレなんだけど・・・。

で、この「合気」という言葉では表現できないし、

理屈じゃないモノを理屈で指導しなければいけないのであるが、

その前に、実際に体験しなければ、わかることもないし、出来っこないのである。

まぁ、料理に例えると、

いくら美味しく出来上がった料理の具材や使った調味料のことを知っても、

実際にその料理を食べなければ「味」はわからないのである。

「味」がわからないのに同じ料理は作れない・・・

これと同じで、「合気」の理屈や身体の使い方を知っても、

「合気」を体験しなければ、「合気」は出来ないのである。

で、ワタシは「合気」をみんなに体験させて指導するのである。

それを何度も味わいながら稽古をやってる内に「合気」が出来てくるのである。

そんで知らない間に心が柔らかくなるのである。

と、異常な?あんなそんなこんなを20年以上かけて創った咲心館の空手であるから、

1日や2日、1ヶ月や数か月・・・、短期間で出来るわけはないのである。

しかし、やってれば、だんだんと何かしら、良くなっていくのである。

そんなワタシは、稽古から帰って、食事をした後、

今日も毎週恒例の筋トレである。

せっかく緩めた身体を筋トレをやって固めてしまうおバカである。

で、さらに、こうしてブログを書いていたら、もうガッチガチ!である。

でも、また後から「咲心棒☆」体操をやって緩めるのである。

それでまた何かしら、良くなるのである。

もうとっくにワタシは自分自身が望む以上の空手を身に付けたのであるが、

それで咲心館に成ったワタシを信頼して来てくれる人たちに応えるべく、

まだまだ凄くなってみせるのである。

で、あと10年、このままやれば、「どーかなる」と思うのである。

「どーかなる」というワタシの想いは、ナイショ♪なのであるが、

ずっと「飛ぶ鳥跡を濁さず」を思いながら生きてきたのであるけれど、

やっぱり、ワタシも、何か「足跡を残そう。」と、思った昨日である。

昨日?いきなりなんで?

なんでだろ。

教えろよ。

やだよ。

咲 心太郎

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