これを読んで、「守」をちゃんとやれる人は絶対に伸びる!・・・「守・破・離」の教え☆

昨日の稽古では、パンチのミット打ちの時の腕の力の使い方を

ワタシが4通りのやり方で示して、その威力の違いを教えたのである。

で、我が咲心館が誇る、オッちゃんズ・トリオ☆の3人は、

完璧とまでは行かずとも、

初めて知った、4通りの使い方をすぐに理解し、そのパンチが打てたのである。

これが普段の稽古の継続の賜物である。

知らない内にこれまで出来なかったことが出来るようになっているのである。

しかも、60歳前後の3人が!である。

普通は、それまで出来たことが少しずつ出来なくなっていく年齢である。

なのに・・・

これが咲心館の空手である。

さすがだろ、咲心太郎ってさ。

ありゃりゃ。

 

この3人は、長年在籍していた道場を離れて、

10コほど年下であるワタシの咲心館へ付いて来てくれた人たちである。

で、前道場時代にやってた稽古とは、

まるで180°方向転換させられるかのような稽古内容

であるにもかかわらず、

年下の館長であるワタシを信頼してくれ、

その空手を信じてくれているのである。

 

とは言え、これまでとは真逆のようなことや、

空手とは関係のないようなわけのわからんようなこと・・・

例えば、

これまでは坂道ダッシュとか大縄を振りまくるとかやってきた人に対して、

ワタシは「立禅」をやらせて、ただ黙って突っ立たせたり、

「咲心棒☆」というヘンな棒を担がせ、腰や背骨をクネクネさせたり・・・と、

咲心館設立以後、この1年8か月の間には、

「こんなことやってたら弱くなっちゃうんじゃないのだろーか?」

おそらく、不審に思ったことも多々あったと思うのである。

が、

ワタシの前ではそんな素振りを微塵も見せず、

年下である館長のワタシを敬い、信じ、

ワタシの教えを忠実に守り、一生拳命!稽古に励んでいるのである。

 

これを・・・

「守・破・離」の教え☆

「守」と言うのである。

「守」がちゃんとやれる人間は絶対に伸びる!・・・

そう決まっているのである。

が、

この「守」が絶滅の危機の世である。

で、過去にも書いたけれど、

もう一度、この「守・破・離」の教えについて書くのである。

あ~めんどくせー。

なら書くなよ。

はいよー。

 

って、今日は書いとかなアカンのよ。

で、めんどくせーけど書くのである。

もちろん、

読むのがめんどくせー人は読まなくていいのである。

 

人間が成長するというのは、

肉体的なモノと精神的なモノがあるのであるが、

「守・破・離」の教えは肉体的なモノではないのである。

わかっとるわい。

あら、そーなの。

 

「守・破・離」の教えは、師弟関係・・・

教える人に対して、それを教わる人が通るべき心の過程

それを教え示したものである。

で、一番最初の「守」は、最も大事で・・・

と言うか、「守」をちゃんとやり切れば、

後は勝手に成長して行くのである。

なので、今日は、「守」についてだけ書くのである。

「守」をちゃんとやり切れば、後は勝手にその最終地点の「離」に辿り着き、

「青は藍より出でて藍より青し。」

という人間になるのである。

何かを教わる人はここまで目指すのが正しい道ということである。

ちなみに、

ワタシにもここまで行ったお弟子さんが一人いるのである。

この子の「守」の期間は12年である。

もちろん、

ワタシ自身がここまで行ったお弟子さんでもある。

ワタシの「守」の期間は一人の師が17年、もう一人の師が10年である。

で、「青は・・・」の意味は、そこへ辿り着けば心でわかるのである。

ここでその意味を書いても

「知ったかぶり」という、頭だけでわかる真性のバカを育てるだけであるから

書いてやらねーのである。

 

で、「守」は文字通り、

自分の師や先生の教えを守る!

たった、これだけ!である。

これが出来ねー人間のなんて多いことか・・・。

自由わがままを履き違えちまった現状である。

 

で、これを読んで目覚める人がいることを願うのである。

 

~「守」の教え~ by咲心太郎

ちょっと極論的な例え話になるが、

頭を柔軟にして読んでネ。

 

自分には‘絶対に白にしか見えないようなモノ‘を

師や先生が、

「これは黒だよな。」

と、言って来たら、

「いや白です。」

なんて輩は論外であり、

「黒だと思います。」

と、その場しのぎは卑怯モンであり、

「黒です。」

は、ウソつきであり、

これらは皆、

師や先生を見下す心である。

教えてもらう側が上から目線でどーすんの?

相手が誰であろーと、

見下す心は自分を下げる!だけ・・・

ましてや師や先生を見下すのはもってのほか!である。

ならば、

どー応えたらいいのか?

「そーなんですか!」

素直な心で教わってる人間なら、こうなるのである。

そして、

白にしか見えない自分を疑う!

さらに、

どーすれば黒に見えるか?

これを追求するのである。

すれば、

早かれ、遅かれ・・・

 

師が「黒だ」と言う意味が心でわかる!

 

これで「守」の完了である。

無論、自分が心から信頼した師や先生であるのが大前提の話である。

 

ここを通らない間は何も教わってねーし、

何も変わってねーのである。(表層上は変わったように思えるが・・・。)

なのに、

すぐに自分の考えを優先して「破」や「離」の心になる人間ばっかである。

それでは成長は無い!のである。

人は他人に依って育つのである。

自分で自分の心を育てることは不可能なんである。

そして、

成長には自らの積極的な「守」が絶対不可欠!なのである。

 

以上。

 

咲 心太郎

コメント