「それでいいんである。」

コロナウィルス問題で、お米国では「弾丸」がもの凄く売れているんだそうである。

危機的状況に追い込まれたときの人間は何をやらかすかわからない・・・

ということに備えてなんだろーけれど、

外国の危機感と比べると日本はそれほどでもないような感じの日々である。

よく言えば、楽観視、ワルく言えば、平和ボケ。

そんな日本でも緊急事態になったときには買い溜めやらなんやら起こるだろーけれど、

お米国みたいに鉄砲は持てない国だから、突きと蹴りを磨いておけば安心である。

でも、腐っても日本人の心の根幹には、助け合いの心があるのだから

ヤバいほどの事態になったときこそ、逆にこの心がお出ましになるような気もするナ。

とは、言うても、どんどん世界中で事態が良くない方向へと進んでるけど大丈夫かね。

若者は大丈夫みたいなこと言うてたのに20代の青年が髄膜炎を起こしたとか言うし。

見えなくてどんな敵かもわからんのに

検査もしなくて実態もわからんのに対応なんか出来んやろ。

でも、ワタシらこそ、どうすることも出来ないんだから楽観視がイイのかもネ。

ま、栄養と休養と笑顔はお忘れなく。だけやね。

 

と、髄膜炎という言葉を久しぶりに聞いて、15年くらい前のことを思い出したのである。当時、ワタシの息子くんが4歳の時だったと思うのだけれど、ご様子がヘンでお病院へ連れて行ったら、髄膜炎ということで緊急入院となったのである。脳みそに菌が入ったというのである。それまでそんな病気を聞いたこともねーし、脳みそに菌なんて、息子くんの死というもんが頭をよぎり、お病院の先生に「アンタは絶対に治せるんかー!」と大声で詰め寄ったのである。すると先生は冷静に「この世に絶対なんてものがありますか!」と逆に聞いてきたのである。そんで「最善を尽くしますから、多分、大丈夫です。」と仰られ、ワタシはハッ!となってこの先生に全てを委ねることにしたのである。で、入院中のあるとき、嫁ちゃんと交代で付き添いをして、点滴をぶら下げてグッタリとしてる息子くんの姿を見てたら、やっぱり死というもんがまた頭をよぎるのである。その時、ふとテレビを見るとアフリカの貧しい国の子供たちの笑顔が映っていたんである。頬は痩せこけ、あばら骨が透けて見えるような身体で、そんな子供たちがカメラが珍しいのか、たくさん寄ってきて、嬉しそうに楽しそうにみんな笑顔笑顔なんである。で、息子くんに目をやると、ふっくら真ん丸の顔なのにグッタリの状態なんである。栄養失調が笑顔で、ふっくら真ん丸がグッタリである。「日本に生まれ、日本で死ねることは幸せなんだ。」と「生死を決めるのは神さまなんだ。」この時この笑顔にワタシはソレを心底からお気づきに成らされたのである。

 

そのお気づきを得る前までのワタシは

この息子くんをとんでもないほどの空手家、格闘家に育てようとしてたんである。

このアフリカの子供たちの笑顔を見て、この思いも消えてなくなったのである。

そんで息子くんは何事もなかったかのように

現在はワタシら親が想像も出来なかったくらいの好青年となってくれているんである。

空手もやってるけど大したことねーのである。お弟子さんたちの方がスゲーんである。

「それでいいんである。」

何もかもが、まずは「それでいいんである。」である。

在るように在って、成るようにしか成らん。その中で、何を為していくか・・・。

咲 心太郎

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