本当に「大切なコト☆」・・・

今朝、パッと目が覚めて・・・

「あ~、夢だったのか・・・」

畑村先生が夢に出て来た。

で、

その夢の中で、

ボクは、

ボクの「アイキ♡の核心」を知り、

スゴいアイキ♡になった。

で、

ボクのその「愛♡」が、大きく深まった。

これは、

もしかして!?

畑村先生が、あちらへ行っても、

夢に出て来て教えてくれたのだろーか?

それとも、

ボクの脳内の活動によるものだろーか?

ボクは、

本当に「大切なコト☆」・・・

それが夢の中でわかってしまった。

そんな、

夢も脳も・・・

ホントに不思議でならない。

しかし、

本当に教えに来てくれたのなら

めっちゃ嬉しい。

感謝します。

で、

もっと、会いたい。

 

昨日は、

5月に横浜から夫婦で体験に来た人が、メールをくれた・・・

「いつも、ユーチューブとブログを楽しみにしています。」

あちゃ~、

そんな昨日は、ちょーど、

ユーチューブをやるテンションが下がったことを

ブログに書いてアップしたところだった。w

ってか、

このタイミング!

すごくね?

で、

たった一人でも、

そう言ってくれる人がいたら

ボクは、がんばれる。

こーいうことを直に言ってくれる人が、

ボクには、あまりいないから

モチベーションを保つのが厳しくなる時がある。

それが、

ユーチューブで出会った人が、言ってくれた・・・

たった一回しか会ってないのにネ・・・

ホントにボクの心が報われる。

で、

一夜にして、

またヤル気になった♪

ってか、

こんな人がいてくれるのにやらんかったらクソ野郎だろ。w

ボクは単純だし、

アイキ♡以外の心は、

コロコロと変わる。

にゃん家☆、ホントにありがとう。

次回、お会い出来た時には、

もっと、飛びっきりの「アイキ♡」を

プレゼント♪ for 友♡

って、

上手く出来んかったら・・・

知らんがなw

 

夜の稽古には、

石川からMさんが来た・・・

これで、1ヶ月続いた。

このMさんは、

ちょっと、おフザけも出来るし、ジョークも言える・・・

ボク的には、ホントにいいキャラのお弟子さんで、

また、

真剣に学ぶ、その心の姿勢も、本当に素晴らしいから

正式な入門はしていないのに、

何でも教えたくなってしまう。w

で、

昨日も、

何やかんやと教えて、

少し合気の技もやって教えると、

「合気もやりたい!おもしろい!」

と、歓んでくれた。

ん?

何か、めっちゃ嬉しいゾ!

あ!

そっか!

初めて、面と向かって、合気をそんな風に言われたっけ。w

ってか、

アナタの魂は、

「アイキ♡」を求めて

ボクのところへ来たんですよー。

けど、

それを言葉に出して言ってくれて、

マジで、嬉しかった。

 

今朝、

家の玄関に

檀家のお寺の「お盆参り」の時間変更の置手紙があった・・・

我が家は、

歴史ある大きなお寺の檀家で、

よくお袋や、親戚のおじさんが、

「お布施が・・・」

って、愚痴る。w

お布施・・・つまり、お金だ。

6月にある「火渡り」の行事の時には、

その時に燃やす、「護摩木」が檀家に割り当てられ、

我が家は50本くらい、売り捌かなくてはならない・・・

これも、

お袋や親戚のおじさんは、愚痴ばっか・・・

で、

しまいにゃ~、

売り捌くこともなく、

「護摩木」にテキトーに書いて、

自腹で払う始末だ。w

おいおい、

こんなことを暴露していいのかよ!

いいの、いいの。

この現代の世の「膿」を出さんとネ。

 

まぁ、

ウチのお袋や、親戚のおじさんに限らず、

おそらく、

今のこの家計に厳しい時代に

よその檀家の方々も同じよーな思いをしていると思われるが、

もし、

ちゃんと、その「護摩木」を売り捌いたところで、

そんな「護摩木」に願いを書いた人々に

「ご利益」があるとは思えないし、あるわけない。

この宇宙は、そんなに甘くない。w

そもそも、

「ご利益」を祈願することが間違ってる。w

で、

お店が終わった今年は、

「もう、お参りも、お布施も断ったら?」

お店をやってた時は、

お寺の住職や家族が給油に来てくれてたから

持ちつ持たれつ!だったけど、

お店が終わったら、お布施をするだけ!だから

ボクは、お袋に言った・・・

って、

こんなバカ息子の言うことを聞くよーな、

バブル時代を過ごした、おバカな母ではない。w

で、

愚痴と不満顔を全開で、

「護摩木」と「お布施」をやってる・・・

だから

「そんな無駄なお金があるのなら、オレに貸してよ。」

っても、言った。

お寺の「仏」なんて、「ほっとけ!」w

うぅ~。

オレって、

ろくでなし?だろ?w

だよ。

 

このお寺の先代の住職は、

よく密教の修行をやってた方で、

ボクは、

何度か、滝修行や山修行にお供させてもらった・・・

また

給油に来た際にも、

たくさん話して、

たくさん教えてもらった。

が、

この先代が亡き後、

後継した住職からは、

何にも教えてもらったことがないし、

教えてもらえるよーなことが有りそーにも無い。

ってか、

ボクの方が、

教えてあげられることがあるだろー。

で、

「オレが、お参りするから、その方がご利益があるから、お布施をオレに・・・」

って、お袋に言いかけたけど、

さすがに

これは辞めた。w

でも、

マジなんだぜ。

ってか、

「仏」を拝むなんてさ、

日本人なら

毎日ご飯を食べる!ってなレベルのことでしょ。

子供じゃないんだから。

で、

ついでに「神」も・・・

ついでかよ。w

それで、

ちゃんと拝めば、

わざわざ「坊主」に頼まんでも、

「神」も「仏」も・・・ちゃんと御座します。

それが「祈り」だ。

その日々の「祈り」なくして

誰かが作った特別な日にだけ、

他人に自分の「祈り」を「頼む」ってさ、

どーなのよ。

 

「お布施」とは、

文字通り、「施す」ことであり、

「施す」とは、

「恵まれない人に与える」

とか

「困っている人を援助する」

っていう意味なんだそーである。

だから、

本来は、

仏教を通じてお釈迦様の教えを学び実践してる出家者が、

一般の人々には、その「教え」を「施し」、

そのお礼に、一般の人々は、

その出家者には、「食」や「衣」を「施し」た・・・

足りないモノや無いモノを互いに補い合うという

持ちつ持たれつ!

つまりは、

互いに「施し合い」、

それが

「お布施」というもんなのである。

それを

便利のイイ、「お金」にしたのである。

が、

今では、

ただの行事ごとであり、

「自分の利益」のために形式的に「お経」を唱えるだけの「坊主」に

家の「仏壇」に「お経」を唱えてもらっても、

何もありゃしません。

また

「お経」とは、お釈迦様の「教え」であり、「学ぶ」ためのものであり、

唱えるのは「真言」です。

で、

その「坊主」の全ては、「お経」を読む、その「声」に出ます。

「お経」を学び実践して「真言」を唱える・・・

それが「坊主」の「仕事」で、「修行」だろ。

人さまの家では、

あの「般若心経」も、最後の「真言」だけ唱えればいいのに、

その自分の無知を晒すかのよーに長々と全文を読む・・・ってか、

修業してない、その「声」で。w

で、

愚痴言って、不満顔して、高いお金を払って・・・

特別な日にだけ、

しかも、

たまに「雇われ坊主」がバイトでやって来る・・・

そのお経を聴いて、一緒に唱えて、安心するってか。w

いやいや、

バイトが来たことに、ウチの母は、キレてたそーな。w

ってさ、

ご先祖様たちが泣くゾ。

こんなボクは、

とても、いられんから

もう、何年も、そこに座ることもない・・・

それで、

神戸の「鏑射寺」まで行った。

もう十分だ。

 

ま、

これが、

お寺に限らず、

武道の世界も、

「○○家」が「○○屋」へと、

みんな「商売」になってしまった・・・

「教える者」と「教わる者」、

「教える」ありがたみと、

「習える」ありがたみ・・・

教えた者は、さらに習い、

習った者は、それを教える、

そして、また習う・・・

そこに生まれるのが、

「お布施の心」です。

この「施したくなる」のが人間の本来の心なのだ。

それがなくなりつつある今、

「奪い合う心」ばっかの「獣道」・・・

「奪われる」のは、不幸、

「奪う」のは、もっと不幸・・・

それに気づかない、

そんな「不幸」を「幸せ」と勘違いしてる

ホントに不幸な世である。

で、

それを改善するのが、

「合気」なのだ。

「もらう」のではなくて、「与える」・・・

「与え合う」のが「合気」です。

そのもう一段上に

「愛魂」があります。

 

アナタには、

アナタの大切な他人に

「与える」モノがありますか?

 

咲 心太郎

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