昨日の続き・・・
今朝、お店を開けて新聞を読んでいたら、突然ハチが目の前を飛んでいったのである。
昨日、お店に迷い込んできたハチである。
「あれま、オマエ、外へ出られなかったのね。」
昨日のうちに外へ出られたのだと思っていたけれど、まだいたようである。
そして、すぐにワタシがいるそばの棚に止まって動かず、
だいぶお疲れのように見えたから、
ワタシの心にわずかながらもある、慈愛で捕まえて、外へ逃がしてあげたのである。
で、ワタシの力によって、ハチは外の世界、自由な世界に戻ることになったのである。
弱って見えたけれど、外へ出たとたん、元気に嬉しそうに飛んでいったのである。
「ありがとう。」って、言うてるように見えるんである。オマエはバカか。
もしも、ワタシが助けなかったら、ワタシが捕まえるのから逃げたら・・・
さらには、助けようとしてるワタシに向かって攻撃を仕掛けて来たら・・・
このハチは、お店の中で、今日か明日にもお亡くなりになっていたわけである。
しかし、このハチは、逃げようともせず、動きもせず、
抵抗することもなく、ワタシに身を預け、されるがままになったのである。
ま、昨日からずっとお店の中で、外に出られず弱っていたのであろーが、
ワタシにすべてを委ねたわけである。
それで、死を逃れ、さらには外の自由な世界に戻ることになったのである。
そうして、「良いことをしてあげれたな。」と、ワタシ自身も喜んだのである。
さらにこのハチは、その後の生涯において、人間を刺すことはないのである。
この話は、神と人間、仏と人間に当てはまるのである。
ハチが人間で、ワタシが神や仏である。
お店に入ってきたハチが、外へ出ようとガラスにぶつかってがんばってるときは、
ワタシは、「がんばってちょ。」と、思いながら黙って見守っているのである。
まぁ、「好きにやってみなさい」と、放ったらかしにしているのである。
が、いよいよ苦しくなって、ワタシの前に飛んできて、懇願したわけである。
で、そのがんばり疲れた姿を見て、慈悲心が起こり、助けたのである。
これと同じことが、人間にも起こっているのである。
神や仏は誰のそばにもいて、見守っているのである。
いざ!となったら、慈悲心を持って助けてくれるのである。
そんな神や仏は人間に見放されることはあっても、人間を見放さないのである。
ワタシらは、このハチと同じように、何度も助けられているのである。
姿形の見えない働きが、ワタシらにはわからないだけである。
だから、たまに、神や仏に思いを寄せて、
どんなときも安心して生きればいいのである。
でも、いつも思いを寄せてると、
ワタシみたいなおバカになってしまうので、
くれぐれもご注意を!である。
咲 心太郎
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