「失われた記憶」。

「予定調和」・・・

人生は初まりから終わりまで決まっている。

だそーなんである。

で、ときどき、人生を振り返ってみたりすると、

50年を生きてきた中の大事なその節々で、自分の意志とは関係なく、

他人や出来事と、勝手に不思議なご縁が出来たり、勝手にご縁が離れたり、

そして、「今のワタシの人生があるんだなぁ~。」と思うのである。

この不思議なご縁の数々を「予定調和」と呼ぶそーである。

そんで「人生って出来レースなんじゃね。」と思う、今日この頃である。

だけど、未来のことはまったくの白紙状態、なんもわからん人生である。

成るようにしか成らん人生をもがいてあがいて、やれるだけやるのである。

それで楽しい人生なのである。

現代では「胎内記憶」なんていう研究も行われているようで、

そのせいか、最近は、この「胎内記憶」という、

お母さんのお腹にいたときの記憶を持って生まれてくる子が多いのだそーである。

お父さんとお母さんがケンカした、仲よく話してた、お母さんが何々してた・・・

と、知るはずもない、生まれてくる前のことを話す子がけっこういるらしいのである。

で、その子たちのほとんどが、

「このお母さんを選んで生まれてきた。」

と話すそーである。

お父さんは肉体を作るための種を植えるだけの役割なの!?・・・あちゃ~。

で、じゃ~、虐待するような親を選んできたの?と聞けば、

「苦しそうだから、助けてあげようと思って。」

などと話すそーである。まさに天使である。

で、そのうち、そんな気持ちも記憶も現実世界によって消えてしまうのだろーが、

「胎内記憶」のそれ以前、

まだ肉体に宿る前の「中間生」というときの記憶を持ち話す子もいるのだそーである。

そのほとんどが、

「誰かの役に立とうと思った。」

と話すそーである。

ここ数年は、

「地球を救いたい。」

が多いそーである。

ま、地球を救うのではなくて、地球人を救いたいではないかと思われるけれど、

「胎内記憶」も「中間生の記憶」も何もないワタシには信じられない話である。

が、これがもしも事実であり、真実であるとしたら・・・

ワタシも、「母親を選び」、「誰かの役に立とう」と生まれてきたはずである。

なのに親不孝を繰り返し、他人様とはケンカばっか。

と、まぁ、生まれる前の自分の意志とは、まったくの真逆じゃないの。

ん~、さて、どーしたらいいもんだろーか・・・。

でも、全く記憶がないんだから、しょうがないよな。

とりあえず、このまま空手をがんばろー。

空手だけは「親を選び」、「誰かの役に立つ」をやれてるハズだろーから。

で、そのうち、この「失われた記憶」を思い出すかも知れんしね。

って、このまま忘れてる方が良かったりして。

ま、別にどっちでもええか。

咲 心太郎

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