「内観」せよ。

昼食後のタバコを一服し終えると、70代のお客さんがご来店である。

今日は風が少し強いので、お店のドアをちょっとだけしか開けてなかったからか、

「まだ、タバコ吸ってるの?」

どーやら、お店の中に煙の匂いがしたよーである。

「18歳から60歳まで吸ってたけど、きっぱり辞めたよ。」

ちょっと自慢気に話すのである。

「タバコを辞めて、絶対に身体に良くないってわかったよ。」

ワタシに辞めろって言うてるのかな・・・

「なかなか辞められんでしょ。」

きっと、親切心で言ってくれてるんだろーけどさ、

「辞める気がない!んです。」

と、答えちゃう咲心太郎なのである。

どーして、「辞めようって思ってます。」とか言えないのかねー。

「ウソつくの嫌いなんです。」

「百害あって一利なし」と言われるタバコであるが、

間違いなく身体に良くない!ってこともわかっちゃいるが、

「美味しい♪」

という、この上ない「一利」があるのである。

「美味しい」という「一利」は、「生きる歓び」の一つである。

ワタシは「生きる歓び」を味わうために苦しみにも耐え、生きているのであるから、

その歓びを手放す気なんか、さらさらないのである。

で、その歓びのために身体に負担をかけてんだから、

稽古で身体を整える。

これも、ワタシが空手に励む理由の一つである。

また、身体に良くないという、食べ物や飲み物・・・

現代では、売られてるほとんどの物に化学物質が使われてんだから、

そっちの方が、よっぽどヤバいと思うけどなぁ。

ま、人間は、「善」だけで生きられるわけがなく、

「悪」も抱き参らせながら生きろと日月の神ちゃまも仰ってるのである。

「悪」な物を身体に入れちゃっても、使っちゃえばいいのである。

で、他人が決めた「善悪」ではなくて、

自分で、自分の中の「善悪」を見極めて、「善」と「悪」を調和させるのである。

「善」と「悪」は、物や他人・・・自分の外ではなくて自分の中にあるのである。

「内観」せよ。

自分の「善悪」を見つめて生きていると、

自分の中の「本当の善」が見つかるのである。

これをもしかしたら「愛♡」というのかなぁ、と、ワタシは思うのである。

で、コレが見つかると、「善」と「悪」という概念が消滅するのである。

と、言っても社会で生活する上では、「善悪」が必要であるから、

「善」と「悪」を使いわけながら、生きるようになるのである。

で、「悪」の名高いタバコさえも、

美味しくいただいて、稽古で身体を整えて、自分の中で「善」とするのである。

と、自分に都合のイイ解釈をするわけである。

そーすれば、楽しくなるのである♪

人生の歓びは、「悪」の方にたくさんあるのである。

「悪」(タバコ)を取り入れ、「善」(健康)に変える・・・

ワタシの楽しく生きるコツ♪である。

以上・・・

改め、

異常。

咲 心太郎

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