ここ数日、アメリカのあちらこちらそこらじゅうでデモが起こっているようである。
テレビで少し取れ上げるようになったけれど、ネットではたくさんの動画があって、
最早、暴徒化して、ただの暴力行為、略奪行為のオンパレードである。
さらに警察官までが、車を人にぶつけたり、無抵抗の人を警棒で叩きまくったり・・・
まぁ、さすがアメリカ、何から何までスケールがデカいのである。
秩序が乱れ、法の効力が弱くなれば理性を失くす、おバカ人間ばっかの象徴である。
こんなヘタれな遺伝子を持たない日本人は、ここまで暴徒化することはないだろーが、
外国遺伝子の影響を強く受けてる現代日本人も多いので、
何かしらの状況によっては、こんなおバカ人間たちが溢れ出すかも知れないのである。
現代日本の平和も、法によって守られているだけなので、
法の効力が弱くなれば、理性が壊れる人間が溢れ、危険な日常になるのである。
理性がなくなった社会では、暴力が権力になる。
ワタシは商売柄、お役所関係の方々とお会いすることも多々あるのだけれど、
お店に不備があるために、法を武器にしたこの方々にキツく言われたりするのである。
まぁ、不備があるのはいけないけれど、
何百万円もかかるという、いきなりわけのわからん法律を勝手に作られ、
「お金がないから、待ってくださいね。」と、お願いしているのだけれど、
もう、まるで犯罪者、もしくは迷惑モン扱いである。
ワタシじゃなくて、その法律が間違ってんだよ。
その法律がなんで作られたかも知らねーくせに。バ~カ。
で、上から目線で脅し文句なんか言ってきて、ワタシの心を踏みにじるのである。
コイツらは、人間の心を持たない、ロボットである。
で、法があるから、耐え忍び、黙って聞いてやるのである。
法がなかったら、コイツら、みんな泣かしてやるのに!である。
コイツら、ワタシが弱いフリをしてるだけで、本当は強いことを知らないのである。
で、コイツらが「自分は強くて偉い」と勘違いしてることを教えてあげたいのである。
「人間の本当の強さと怖さを知ってるかい?」って。
でも、法がまかり通ってる現在は、教えてあげたらワタシの人生はジ・エンドである。
なので、昨日も弱いフリをして差し上げたのである。
で、このように弱い人間が、法を武器にして、いきがっているけれど、
法を守っているのは、法に抑圧された人間の理性だということを知らんのである。
抑圧が大きければ大きいほど、理性が壊れたら、その野性の反動は恐ろしいのである。
まぁ、ワタシは空手の学びのおかげで、自分の理性と野性を理解しているので、
法があろーがなかろーが、自分の好きなように理性と野性を使うのである。
で、実は、昨日は野性を使うつもりで、コイツらを迎えたのであるが、
ワタシが心の刀を抜く気配を感じたのか、親切な対応でお帰りになったのである。
去年はド偉い態度で来たので、「もう、我慢がならねー。」と待っていたので、
少々、拍子抜けしたのである。
ま、ワタシの心を察知したのなら、ロボット発言は訂正するのである。
でも、人の道、心の法、神の法則など、何にも学ばないコイツらが、
それらを学び、自分を正しながら生きている人間を裁くのはよろしくないのである。
お釈迦さまの法は2500年、キリストの法は2000年と続いているのである。
それらの法を学び実践している者を、ここ数年、数十年で出来た法で照らし、
見下して裁くなどというのは、愚の骨頂である。まさに末法の世である。
で、今のワタシが意図的に野性を使ったらなら、ワタシ自身が手を下すのではなくて、
ワタシが学んでいるこの法の力がワタシを守り、コイツらを裁くのである。
この法に裁かれたら、地獄行が決定するのである。
ワタシは現実問題では負けることになっても、心の世界では負けないのである。
今までコイツらを地獄行から守っていたのである。
と、最近わかったのである。
で、昨日は助かったようだけれど、
もう、これからは悪態ついてきたら守ってやらねーのである。
ちなみに、ワタシのこのブログをいつも快く読んでくれてる人にも、
この法を学んでいることに成るから、この法の力が働くのである。
なので、理不尽な人間に遭遇したときには、
「コイツ、地獄行だな。」と、思うだけで、
たとえ理不尽な目に遭わされても耐え忍び、それで心の世界では負けないのである。
その相手は、いずれ、この法の裁きによって、落ちることになるのである。
ま、こんなバカな話を信じられたらであるが。
でも、自己中的な考えでやったら、自分が地獄行になるからご注意を!である。
これはワタシからみなさんへのプレゼント♪である。
とは言っても、この法の力は、
「この法を信じ、学ぶ者には良き力となって働く。」
という単純な原理である。
目の前の諸悪な人間や諸悪な問題に怯むことなく、
「この法の力を信じろ。」そして、耐えろ。
そして「闘わずして勝つ。」のである。
咲 心太郎
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