先日、50代後半のお弟子さんがアバラを痛めたよーであるが、
昨日の稽古にも元気と笑顔で参加である。
さすが、長年空手に励んできてるだけあって、
「顔に出さない。」
ぜんぜん、痛めてる素振りを見せないのである。すごいねー。
ワタシも若い頃は、痛い時、苦しい時…「顔に出すな。」とよく言われたので、
それが染みついて、よっぽどのことじゃない限り、顔に出さないのである。
痛い時くらい痛い顔をすればいいし、苦しい時は苦しい顔をしてもいいのにネ。
ま、笑顔はいっぱい出すのである。
で、空手なんてモンをやってると、怪我なんてしょっちゅうなんであるが、
館長になった今は、「いかに自分が怪我をしないか?」を考え、
さらには、「いかに相手に怪我を負わせないか?」を考えるのである。
咲心太郎は、考えたことを技や術に変え、それを稽古するのである。
で、怪我をしない、怪我をさせない技や術の数々を生み出したのであるが、
まだまだ指導者としては力不足で、未熟モンである。
そんで、こうーして、ちょいちょいお弟子さんが身体を痛めてしまうのであるが、
今日は、そこを武道精神論で語って、その指導力不足をごまかしてやるのである♪
ごまかすのかよ。
昔の武士は、
今の「試し合い」の「試合」ではなく、「死に合い」の「死合」だったので、
いざ、闘いになったならば、どちらかが「死」んだわけである。終わりである。
そんな闘いの場において、相手に向かって、
「今日、オレ、風邪ひいて熱あるし・・・」とか、
「今日は、オレ、腰を痛めてるんだー。」とか言っても、
問答無用でぶった切られるだけである。
なので、熱があろーが、腰が痛かろーが、その状態で闘うしかなかったのである。
で、その闘いに負けたら、もう次がないのであるから、
毎日毎日、稽古修行に励んで、
その日その時を最高最良の自分☆
いつだって、どんなときも、今を最高最良の自分で過ごしたのである。
そんで、風邪もひかねー、身体も痛めねー・・・
不死身の超人☆になった・・・
って、なるわけねーだろ!
生身の人間は生きてりゃー、誰だって、風邪もひくし、怪我もするのである。
だけど、昔の武士は、風邪を引いて熱があっても、腰が痛くても・・・
今のその自分が最高最良だったのである。
そんなことが可能だと思いますかー?
可能なのである。
え!?どーすんの?
そう思えばイイ♪
心底から、そう思えばイイのである。
本気でそう思った瞬間、最高最良の自分になるのである。
「思いの力」って、すげーのである。
で、技も術も、最高最良になって、あらまービックリね!である。
が、そう思えるためには、
そう思えるような生き方をする。
これが肝要である。
そして、その継続である。
人生とは、ある意味、闘いの場であるから、
家から一歩、外へ出たら、そこは戦場である。
戦場に出るからには、最高最良の自分で出たいモンである。
最高最良の自分で人生という戦場を大闊歩するのである。
さて、今日も、稽古に励もう♪
あー、膝の裏が痛ぇーな・・・。
咲 心太郎
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