一人稽古の毎日に足を手の様に操るという目的も加わって、
どーやったら足を手の様に操れるようになれるか?新たな人体実験の始まりである。
長年、身体を動かしてきたおかげか、今日は下半身の痛みも随分と和らいだのである。
で、今日も朝から足をいろいろと動かしてみているのだけれど、
改めて下半身の重要さが非常によくわかるのである。
柔軟性、内外の筋力、体幹力、重心、片足立ちのバランス・・・
老化の衰えの始まりは下半身からと言うのも納得である。
下から上へ持ち上げる力が弱くなれば、当然、上から下に垂れるのである。
土台が弱くなれば全体が弱くなるのは当たり前である。
人間の生きる土台は、肚と足である。頭じゃないのである。
と言っても、足と肚と頭も互いに支え合っていてどちらも大切である。
近代では、長寿国日本となったのであるが、
その実態は、寝たきりの人や自分で排泄が出来ない、食事も出来ない・・・
そんで、わが子や他人に面倒を見てもらって生きている人が多いのである。
それが仕事にもなって、施設もたくさん出来て、これが当たり前になったのである。
「年を取ったら人の世話になる。」のが当たり前の世の中になったのである。
病気になったときは仕方ないと思うけれど、
他人にオシッコやウンコを取ってもらったり、ご飯を食べさせてもらうなんて・・・
想像するだけでもワタシは絶対にイヤである。
そーならないために!これも空手に励む一つの理由なんである。
食事や排せつという、生き物としての最低限の自分がやる生命活動も出来なくて、
そんな長生きをしてもしょーがないとワタシは思うのである。
大切な命と騒いでいるけれど、普段から命を大切にしてねー人がそーなるのである。
コロナとか、問題が起きたときにだけ命を大切にしたってダメなんである。
もーちっと、命とは何なのか?を真剣に考えたらどーかね・・・。
その命とは、アンタだけのもんじゃねーんだから。
そんで、ワタシは死ぬまで空手に励み、ちゃんと神が生き物すべてに与えてくれた、
「自然な安楽死」まで元気でいられるように、やれることをやって生きるのである。
実は、ワタシが本当に目指しているのはココ☆なんである。
ココ☆へ行くために、いろいろとお励みになるのである。
ココ☆へ行くために、いろいろと楽しむのである。
ココ☆へ行くために、いろいろと耐えるのである。
ココ☆へ行くために、泣く日もあるのである。
ココ☆へ行くために、笑う日もあるのである。
ココ☆へ行くために、人生があるのである。
ココ☆へ行くまでは、人生は終わらないのである。
ココ☆へ行けるよう、人生をがんばるのである。
楽な世で楽をしちゃイカン。腐る。
そんで、いつの日か・・・
笑顔で帰ろう♪
咲 心太郎
コメント