今朝早く、師を通じて知り合った、もう一人の師!?からラインが来た。
コロナ問題についてだったのだけれど、そのやりとりの中で
ワタシは「写真を一枚、送ってもらえませんか?」と、
とある方の写真をお願いした。
すると、しばらくしてから電話があって、動画を送ってもらえることになった。
で、すぐに動画が送られて来た。
写真でお会いしたかった方が、この師!?に吹っ飛ばされている動画だった。
思わず笑ってしまった。で、ちょっぴり涙が出た。
写真でお会いしたかった方とは、以前ブログに書いた、
このワタシを、師とこの師!?の2人に出会うきっかけを与えてくれた人だった。
一度お会いしたいと思っていたけれど、お会いすることなく逝ってしまったのだった。
そして今日、念願が叶って初めてお会いすることが出来た。
10年前のワタシと同じように吹っ飛ばされている姿だった。
吹っ飛ばされたのに爆笑して喜んでる姿もワタシと同じだった。
10年前、ワタシが師とこの師!?に吹っ飛ばされたシーンの記憶とダブった。
「あれは、何だったんだろ。」
最近では夢を見てたかのように思うけれど、やっぱり現実にあった、事実だった。
そんで、「もう一度、吹っ飛ばされたいなー。」と思った。
空手に打ち込み、この世にきっと在るであろうと、ずっと摩訶不思議な力を追い求め探し求めて、そしてついにその存在を見つけ、ワタシは2人の師に吹っ飛ばされることによって、この摩訶不思議な力の存在を身体と心、ワタシの全てで知ることになったのだった。そして、この日、ワタシの身体の全ての細胞が蠢いて歓び、ワタシも吹っ飛ばす側の人間となれたのだった。長年の念願が叶い、夢が現実となった当時は人生最大の歓びを覚えていたが、あれから10年が経った今、相手を吹っ飛ばせることなんかどーでもよいことだということも知ったのである。でも、この摩訶不思議な力を知ることは大切なんである。人はこの摩訶不思議な力を知るために生まれてきたんじゃなかろーかと思うんである。何故なら、この2人の師は、この摩訶不思議な力のことを「愛」だと言うんである。そして、この2人よりも未熟なワタシだけれど、そんなワタシの摩訶不思議な力も、今のワタシは「愛」としか言えないんである。ワタシはこの「愛」を知るためにこの2人の師と出会ったのである。そして未熟なりにも「愛」を伝えるんである。
ワタシを知る人が、ワタシが「愛」なんて言うと
ちゃんちゃらおかしいと思われるだろーけど
言ってるワタシも少し恥ずかしい気もするけど
師の言う通り「愛」なんだからしょーがないのである。
武の究極は「愛」なんである。
自分の「愛」を知り、その「愛」を育てるんである。
これからますます「愛」が大切な時代に成るんである。
その「愛」は、アナタのすべてを育んでくれるのである。
「愛」は無敵なんである。敵が無ければ負けることも無いのである。
その「愛」は自分の心の中に在るんである。外に出たがっているんである。
咲 心太郎
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