「道」
いちずに一本道
いちずに一ッ事
かんのんさまに助けられ
ほとけさまに守られて
曲りなりにも一本道
迷いながらも一ッ事
詩人、相田みつをさんの詩である。
随分と前に相田みつをさんの詩をよく読んでいたのであるが
この詩に励まされながら、何があっても空手道一本道で歩んで来れたわけである。
で、それから十数年が経ち、今朝ふと、この詩が浮かび、読み直してみたのである。
と、ずっと自分の心を励ましてくれていたような、この詩が、
いつの間にか共感に変わっているのである。あらま、ビックリねー!である。
ワタシの場合は、空手の神ちゃまに助けられ、ククリヒメちゃまに守られての一本道。
若かりし頃のワタシは、いろんなお遊びをたしなんで、楽しんでいたのであるが、
空手もそのお遊びの中の一つでしかなかったのであるが、
28歳のときに人生観を変えられる事態に遭ってしまったのである。
そんで、「こんな自分ではダメだ。」「自分を変える。」と決意し、
「死ぬまで空手をやる。何があっても辞めない。」と、
この時、自分に誓い、今日まで来たわけである。
で、曲がりなりにも迷いながらも来たわけである。
そんな30代の10年間は特に、ワタシの空手への情熱は尋常じゃなく、
家族はもちろん、いろんな人にたくさんの迷惑や心配をかけたのであるが、
当時のワタシが、そんなことに気づくはずもなく、道を歩くというよりは暴走である。
気づけば多くの人が離れていき、人生はどん底と呼べるような日々の連続である。
失望と絶望しかないような日々の連続である。
でも、家族と空手と空手に来てくれる人がいたから、
なんとか人間廃業となりそうな心をギリギリのところで保っていれたのであるが、
そんなワタシを守るため、ククリヒメちゃまは師の元へと向かわせてくれたのである。
遠く離れた出会うはずもない、見ず知らずの人間に・・・
その人間に初めて会ったその日その時その瞬間に、
ワタシのそれまでの失望も絶望も・・・苦しむ心の全てを歓びに変えられたのである。
ワタシの心の花が一つ開いたのである。
そんなワタシが一番大好きな詩人、坂村真民さんの詩である。
「念ずれば花ひらく」
念ずれば
花ひらく
苦しいとき
母がいつも口にしていた
このことばを
わたしもいつのころからか
となえるようになった
そしてそのたび
わたしの花がふしぎと
ひとつひとつ
ひらいていった
「二度とない人生だから」
二度とない人生だから
一輪の花にも無限の愛をそそいでゆこう
一羽の鳥の声にも
無心の耳をかたむけてゆこう
二度とない人生だから
一匹のこおろぎでも
ふみころさないようにこころしてゆこう
どんなにかよろこぶことだろう
二度とない人生だから
一ぺんでも多く便りをしよう
返事はかならず
書くことにしよう
二度とない人生だから
まず一番身近な者たちに
できるだけのことをしよう
貧しいけれど
こころ豊かに接してゆこう
二度とない人生だから
つゆくさのつゆにも
めぐりあいのふしぎを思い
足をとどめてみつめてゆこう
二度とない人生だから
のぼる日しづむ日
まるい月かけてゆく月
四季それぞれの星々の光にふれて
わがこころをあらいきよめてゆこう
二度とない人生だから
戦争のない世の実現に努力し
そういう詩を一編でも多く
作ってゆこう
わたしが死んだら
あとをついでくれる
若い人たちのために
この大願を書きつづけてゆこう
勝手にあとを受け継いだと思って、
この大願を微力ながらわずかながらもワタシの空手で具現化してゆくのである。
そうして、これからも、曲りなりにも迷いながらも・・・空手道一本道である。
詩を書くも、空手をやるも、同じ人間なんだから、
詩人も空手家も・・・誰でも、同じ心に成れるはずである。
久しぶりに詩を読んだけれど・・・やっぱり素晴らしいですね、この2人の詩人。
咲 心太郎
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