見上げてごらん♪

今日と土曜日の道場稽古は

施設が使えなくてお休みに・・・

それで

昨日は咲心棒☆体操の日であるが

空手の稽古に変更した。

最後にやった組手の稽古には

ボクも参加して

7人のお弟子さんを相手にやった・・・

合気や愛魂を使ったり

背骨や正中線のパワーを使っては

お弟子さんたちを翻弄して遊んだ♪w

その中の数人には

壁まで身体を押し込んで”貼り付けの刑”の乱れ打ち!を

喰らわせてあげた。w

もちろん、痛くないよーにした。

さて

普段の道場稽古では

ボクは最初の手技の基本稽古だけ

みんなと一緒にやって・・・

後は号令をかけたり

みんなを見ながら指導をしてるだけだ。

組手もたまに参加するだけ・・・

咲心館になってからの4年間は

ずっと、そーやってる。

逆に

お弟子さんたちは

新たな身体の使い方や突き方と蹴り方を学び

随分と成長してる・・・

そりゃそーだ!

みんな週に2~5回は稽古に参加してやってるんだもん。

なのに!

みんなを見てるだけのボクが

何故?

みんなよりも上手いのか?

何で?

組手もろくにやらないボクが

組手もがんばってるみんなに

やられないのか?

ここ!に

疑問を持つお弟子さんはいない。

ボクは

特別な人間☆ってことなんだろー!

アホか!

っなわけねーだろ。w

 

「自分やその技が、試合などで通用するか?試してみたい。」

ほとんどのお弟子さんが

そんな思いを持っていて・・・

時々

他流派のスパーリング会や

試合に参加している。

これは

フルコン空手の世界ではよくある話だ。

ちなみに

ボクは

もうかれこれ20年以上

試合に出たことはない。

さっきも言ったが

この4年は

道場稽古では

組手どころか

ろくに稽古をやっていない。

54年の人生の中で

今が

最強にして最上の技のボクである。

他流派の人はもちろん

咲心館のお弟子さんとも

全く腕試しをしないボクが

何で?そーなるの?

って

思わんの?

やっぱ

ボクが凄いのかね?

ってか

身内にだけ通用するんだろ・・・

なんて

よく

ユーチューブなどのコメントで見た記憶があるが・・・

そんな風に思ってるヤツは論外だ。w

 

先日

新里先生から送られた動画の中で

「スポーツ空手とは違う・・・」

そんなことを新里先生が仰られていた。

スポーツ空手と武道空手・・・

さて

何が?

どこが?

違うのでしょうか?

それを

理解しないことには

あっち行ったり

こっち行ったり

新里先生の空手どころか

ボクの咲心空手すら理解することもないし

それらの技が

出来ることも無いであろー。

合気や愛魂の世界を目指す人は

よくよく

深く

考えるべきである。

もちろん

試合などが目的の人は

別に考える必要もないし

それで良いのである。

 

空手などの道と付くモノには

「何々流」とか

「流派」とか

「流」という字が付いているのであるが

我が咲心館は

冠光寺「流」であり

氣空術「流」であり

新たに

喜舎場塾「流」であり

それを合わせた「流」が

我が「幸和流」である。

冠光寺流は、保江邦夫「流」であり

氣空術流は、畑村洋和「流」であり

喜舎場塾流は、新里勝彦「流」であり

この3人の流れを受けているのが

幸和流の咲心太郎「流」である。

他にも

いくつかの「流れ」を受けたボクではあるが

これらの流れの全ては

ボクにとっての最上の流れである

冠光寺「流」の中に溶け込ませているのである。

 

この世の全ては

「流れ」である・・・

物理学者でもある保江先生や

生物学者の福岡伸一先生などが提唱されているけど

愛魂の不思議な現象をたくさん経験してるボクには

「それが本当の真実なんだろーなー。」

としか思えないのである。

ボクのこの身体もその存在も「流れ」であり

あなたの身体も存在も「流れ」だということである。

まぁ

普通の人は

そんな知識を学ぶ機会はないであろーから

「何を言ってんの?」

ってな話でしかないだろーけど

ボクという「流れ」は

保江先生の「流れ」と

畑村先生の「流れ」と

新里先生の「流れ」と

この3人の流れを多く受けている!

ということで・・・

とすれば

ボクが

お弟子さんたちにやられないのは

当たり前のことである。

だって

こんなすげー3人の「流れ」なんだもん。

ボクは

この「流れ」を

たくさんの人に流したいのであるが

何せ

その流れをブロックしちゃう人が多い・・・

凸ばっかである。

これまでには

ボクの上手に行きたいヤツまでいてさ・・・

あのネ

その流れってのはさ

上から下へしか流れないのネ。

どーしても

凹になれない人は

たかが知れてる

「凸流」・・・

「自己流」でやるしかない。

ボクの空手は

師に対しては「凹流」になり

お弟子さんに対しては「凸流」となる。

それで

その「流れ」が流れるのだ。

だから

習う人は

凹になっておくんなせー。

スポーツは

凸vs凸で、相手を凹らせる闘いであり

武の道は

凸の相手に対して

自ら完全な凹となって

凸と凹で調和することを知り

凸凹が一体となって

その流れを育てる道である。

 

この世には

いろんな「流れ」が流れているけれど・・・

今一度!

見上げてごらん~♪

君の流れを~♪

師は「☆」だ・・・

夜の「☆」を見上げれば

その光が見えるだろ?

流れて来るだろ?

それと同じだ。

でも

師を見上げても・・・

光が見えなかったら

流れて来なかったら

それは

あなたの師ではない。

だから

ボクのお弟子さんたちよ

今一度!

このボクを

見上げてごらん

その流れが来てるかい?

その光が見えたかい?

え!

溺れ死ぬ!ってか!

真っ暗闇!ってか!

あちゃ~。

 

咲 心太郎

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