試合で勝ちたけりゃー、日々の稽古を「一生拳命」やるしかない。
当たり前だろ。
でも、やっても勝てない・・・
仕方ないだろ。
そりゃー、対戦相手だって稽古をやってだもん。
それならば!とアホみたいに稽古量を増やし、他を犠牲にし、
勝てたところで何になるの?それでも負けたらどーすんの?
それにどんなにがんばっても、とんでもねー強ぇーヤツ!っていて、
そんなヤツにはどうあがいたって勝てん。あきらめるしかない。
そんなのイヤだー!それでも勝ちてー!という人は、
勝てるまで何年かかろうと、
一心にあきらめず飽きることなくやり続けるのだ!
ワタシ、30歳のときから極真空手のとんでもなく強ぇー人と
一緒に稽古をするようになって試合に出るのを辞めました。
だって、この人と組手やったら必ず30秒くらい以内で悶絶させられるんだもん。
空手の先生を辞めようか、いや空手を辞めようかと思うくらい情けなくて・・・
この人が出ない試合に出て勝ったところで全然カッコ良くないし嬉しくもない。
そんでこの人と互角以上にやれるようになることだけが「人生の目標」になった。
・・・相当にやられたけど・・・7年くらいかかったけど達成出来た。
けど、達成してみたら大してそんなに喜ばしいことでもなかった・・・。
実はワタシ、30歳のときから空手と並行してスポーツチャンバラもやってます。
1年ほどやった頃、スポーツチャンバラの創始者の講習会かなんかに出たら
いきなり「黒帯」、しかも「3段」をいただいてしまった。
そしてこちらでも先生になっちゃったし、あまり普及していなかったので
(大会に出て、もしも入賞出来たら新聞に載って宣伝になるやろ!)
とまぁ軽~い気持ちであちこちの大会へと参加したのであります。
スポーツチャンバラの大会では、今は試合に出ないので知りませんが、
当時の大会では、開会式のときに「模範試合」というのがあって、
各都道府県の代表選手が全員の前で試合をするのでありました。
選手が少ないわが県の代表は、いつもワタシ。
他県の代表選手の対戦相手の中には元世界チャンピオンなんて人もおりまして・・・
しかも、周りを見渡すと「3段」なんて黒帯を締めてる人はそうそうおらんし・・・
「1年ほどしか稽古をやってねーオレが勝てるわけねーだろーっ!」
「わざわざ遠くまで恥をかきに来ちゃったのか、オレは・・・。」
なんて思ったけど・・・
出場した大会の「模範試合」は全勝~!
出場した大会でほぼ入賞~!
元世界チャンピオン!って人も2人ほど喰っちゃった。
そう、ワタシは、
神の申し子、武の天才だったのだー!
なわけねーだろ・・・。
じゃなんで勝てたんや?
「自分を消したのだ。」
自分を消す!なんていうと、難しく思えるけど、ワタシの場合は、
・わが県の恥はさらすまい
・わが道場の恥はさらすまい
・わが仲間の誇りになるゾー
・家族の応援に応えるゾー
他人のことを思ったのだ。
3段の黒帯締めて、ふがいない負け方してワタシがバカにされても仕方ないけど
県の代表で、道場の代表で出たら、わが県とわが道場がバカにされるかも。
一緒に大会に来た仲間やチビッ子お弟子さんたちをがっかりさせるかも。
見たくもねーのについて来たくれた嫁さんを喜ばせたいナ。
「よーし、やったるゾーーーーーー!!!」
こんなある意味プレッシャーにもなるようなこの思いがすべて「ヤル気」に変わり
ワタシに実力以上の力を発揮させ、思いもよらない結果を出させたのである。
このときはホントに嬉しかった。
「自分のためが人のため。人のためが自分のため。」
以上がワタシが相手に勝った、試合で勝った方法である。
もう一度言うけど
日々の稽古を「一生拳命」やるのは当たり前である。をやった上でネ。
それからのワタシは・・・美しい空手をやりたい!と思うようになった。
でもまだ、それがどんな空手なのかわからない・・・
わからないから、相手に勝つ、試合で勝つことより難しそうだ。
もう10数年やってるけど未だ手探り状態だ。
こちらは終わりなき旅のような気がする・・・
美しい空手って?いったいどんなんなんだ?
コレ、福井県若狭町にある諦応寺の生木に彫られた十一面観音さま。
160年くらい前に当時のお寺の僧が住民の幸せを願って彫ったそうな。
お坊さんって芸術家なの!?なんてお美しい仏像さま!なんでしょ。
なんで木が枯れないんでしょ!?奇跡だ。
空手家も芸術家になれるハズ!?・・・美しい空手を創って奇跡を起こすゾ!
咲 心太郎
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