海外での過酷な労働から、空手と師匠が僕を救ってくれた話 Part③

今日も今日とて、昨日のブログの続きでございます。

 

まだPart①を見ていない方は↓から

海外での過酷な労働から、空手と師匠が僕を救ってくれた話 Part①
僕は、 一年ほど前、 カニの会社で働いていました。 この会社は、 以前勤めていたゴルフ場を辞めた後に、 友人の紹介で、 入社した会社でした。 主な仕事内容としては、 カニの配達や、 カニの加工、 冷凍庫にある在庫の整理整頓など、 いろんなこ...

 

まだPart②を見ていない方は↓から

海外での過酷な労働から、空手と師匠が僕を救ってくれた話 Part②
今日は昨日のブログの続きでございます。 まだ、昨日のブログを見ていない方は↓から カナダに行くことになったのは、 4月の始め頃でした。 出航当日は、 朝の8時くらいに小松空港へ母に車で送ってもらい、 東京の羽田空港へ行き、 羽田空港で待ち合...

 

カナダに無事に着き、

時差の影響で、

とてつもない睡魔に襲われ、

泥のように眠ってしまった僕は、

部屋の窓のすき間から差す太陽の光によって、

目覚めました。

 

目覚めた瞬間は、

「ここドコ?」状態で、

自分がカナダにいることに気づくまで、

30秒ほどかかりました。

 

そうして、

ようやく自分がカナダにいると再確認し、

部屋から出て、

リビングの方へ向かって歩き出しました。

 

リビングへ行くと、

70歳の上司だけがソファーに座っていました。

 

「おはようございます」

と一声かけると、

「お前の飯は俺が作っといたから、キッチンに行って自由に食べろ」

と言われ、キッチンに行ってみると、

目玉焼きとサラダ・鮭・インスタント味噌汁・ご飯が並べられていました。

 

ありがたい・・・🙇

 

実家ぐらしの僕は、

自分でご飯を作った経験がほとんどなかったこともあり、

自分で朝飯を作らないといけないのか・・・

と思っていたのですが、

その上司の人は、

面倒見の良い人だったので、

僕ともう一人の上司の分まで、

朝ごはんを作ってくれていました。

 

そうして、

僕達のために作ってくれた朝ごはんを食べるところから、

僕のカナダ生活1日目が始まりました。

 

朝ごはんを食べ終わると、

その日は早速、

工場の下見をしに行きました。

 

工場までは、

徒歩3分ほどで着く距離だったのですが、

僕が運転に慣れるために、

車で工場まで向かうことにしました。

 

車だと30秒もかからないうちに着いてしまうので、

あまり運転の練習にはならなかったのですが・・・

 

そうして、

工場に着き、

「フォアマン」

と呼ばれる、各部署のリーダー的な人に挨拶をしに行きました。

 

僕の拙い英語での挨拶が、

通じるか心配だったけれど、

変な顔をすることなく、

快く僕を受け入れてくれました。

 

その後、

工場を見学することになり、

大ベテランである70歳の上司の後に、

金魚のフンのように付いて歩き、

ここでは、この仕事を、

ここでは、この時間までにこの仕事を、

のように、加工工程を教えてもらいました。

 

そんなこんなで、

フォアマン達への挨拶と、

工場見学で僕の2日目のカナダ生活は、

あっという間に、幕を閉じました。

 

そうして、

カニ漁が始まるまでの1ヶ月近くを、

工場の機械の整備をしたり、

フォアマン達とのコミュニケーションを取ったり、

資材の発注をしたりなど、

準備に費やしました。

 

その間に、

僕と同期?というか、

当時、一緒に働いていた友達も後から遅れてカナダに到着して、

いよいよカニ漁も始まるということで、

内心めちゃくちゃワクワク・ドキドキしていました。

 

だけど、

それは幻想でした。

 

いよいよ、

僕史上、一度も味わったことのない、

地獄の日々が始まることになるのです。

 

Part④へ続く。

 

咲 心次郎

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