海外での過酷な労働から、空手と師匠が僕を救ってくれた話 Part①

僕は、

一年ほど前、

カニの会社で働いていました。

 

この会社は、

以前勤めていたゴルフ場を辞めた後に、

友人の紹介で、

入社した会社でした。

 

主な仕事内容としては、

カニの配達や、

カニの加工、

冷凍庫にある在庫の整理整頓など、

いろんなことをしました。

 

その中でも特に、

良い経験になったと思うのは、

海外でのカニの加工指導

に行かせてもらったことでした。

 

ベトナム中国・インドネシアなど、

いろんな国へ行き、

現地の人達にカニの加工指導を行いました。

 

僕自身、

海外に行ったことが無かったので、

ドキドキ、ワクワクしたし、

会社が飛行機代やホテル代を支払ってくれていたので、

タダで海外留学をさせてもらっている気分でした。

 

また、僕の年で、

というか、

僕の周りで海外に仕事に行っている人が少なかったこともあり、

俺は他の人が経験できないようなことができている

という優越感にも浸っていました。

 

そんな感じで、

カニの会社に勤めていた時は、

何度も海外へ行かせてもらいました。

 

ちなみに、この時には、

約一年離れていた空手をもう一度始めていました。

 

咲 心次郎が約一年空手を離れていた理由が知りたい人は↓から

仕事を辞めて空手も辞めてしまった男の物語 part①
今では、こうして毎日パソコンを触りながら、 ブログを書いたり、仕事をしたりしているのですが、 僕にも会社に勤めていた時期がありました。 僕は高校を卒業してすぐ、 ゴルフ場⛳ に就職しました。 家から車で5分とかからないところに会社があったの...

 

そうして、

海外へ何度も仕事に行かせてもらっているうちに、

この仕事を生涯を通してやり続けたい

と思いました。

 

パソコンや資料が入ったカバンを持ち、

空港を荷物が入ったスーツケースを転がしながら歩き、

飛行機に乗って、海外へ行く。

 

そんな、

いかにもビジネスマン!

みたいな感じが、

当時の僕は「最高にカッコいい!」と思っていました。

 

空港に漂う独特の香水の匂いや、

見たこともないお店、

日本語が全く通じない人達が周りにたくさんいる、

そんなワクワクした気持ちにさせてくれる海外での仕事が、

大好き

でした。

 

そうして、

僕は海外での加工指導の仕事を生涯の仕事とすることを決めました。

 

それから、一年ほどが経ちました。

 

一年も経つと、

海外のホテルやお店で注文できる程度の英語を、

使えるようになっていました。

 

日常生活が送れるほどではありませんでしたが・・・(汗)

 

ただ、大体は、

ボディランゲージをしたり、

単語を連発したりしていれば、

現地の人とはコミュニケーションを取れました。

 

そんな感じで、

海外での仕事をし始めてから一年ほどが経ち、

海外での仕事に慣れつつあった僕は、

いよいよ、カナダ仕事に行くことになりました。

 

「なんで、カナダなの?」

 

という方もいるでしょう。

 

実は、

この会社で使っていたカニは、

日本のカニではなく、

カナダ産のカニ

だったのです。

 

「海外のカニか・・・美味しくなさそう・・・」

 

そう思う方もいるでしょう。

 

しかし、これが、

めちゃくちゃに美味しい。

 

僕の地元、福井県には、

福井県=越前蟹

と言っていいほどのカニのブランドがあるのですが、

そのカニと比較しても引けを取らないほど、

カナダ産のカニは美味しかったのです。

 

そんな美味しいカニを、年に一回、

3ヶ月かけてカナダで製品を作ってくるのが、

僕に課せられた新しい仕事だったわけです。

 

また、実は、

中国やベトナム・インドネシアは、

1〜2週間ほどの短期出張だったため、

3ヶ月もの間、海外で仕事ができるカナダ出張は、

楽しみすぎて、胸の高鳴りが止まりませんでした。

 

また人とは違うことができる!\(^o^)/

と思い、めちゃくちゃワクワク・ドキドキしていました。

 

しかし・・・

 

このカナダ出張は、

僕がこれまで体験してきたどの海外の仕事よりも、

というか、

僕が生きてきた中で、

一番辛い3ヶ月

を過ごすこととなるのでした・・・

 

Part②へ続く。

 

咲 心次郎

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