元アルゼンチン代表サッカー選手だったマラドーナがお亡くなりになったそーである。
まぁ、代表というより国民的英雄だった人である。
1986年のワールドカップにおいて、
5人抜きでゴールを決めたり、神の手と呼ばれるゴールを決めたりと、
アルゼンチンを優勝に導いたのである。
咲心太郎は、中学生の時からサッカーを始めて、
「絶対にサッカー選手になって生きる。」
と、決めて生きていたのであるが、
ちょうど高校2年生の時にこのワールドカップで初めてマラドーナを見たのである。
で、
「マラドーナになりたい♡」
一目ぼれ♡である。
それからは試合を全部ビデオに撮って、
何十回と観ては真似をしながら練習に励んだのである。
で、右利きのワタシだけれど、マラドーナは左利きだったので、
左足での練習を増やして、左利きのような動きも出来るようになって、
「北陸のマラドーナ☆」
もちろん自称に決まってるのである。
で、試合でワタシも5人抜きを決めたけれど、シュートを外し、
「一人でやってんじゃねーよ!」
と、チームメイトから、怒涛の非難を喰らったりしたのである。
所詮、自称「北陸のマラドーナ」であるから、こんなもんである。
とは言え、かなりの本気でサッカーに打ち込んでいたから、
まぁまぁ上手であったのであるが、
ヤンチャな性格が災いして、高校3年の時にサッカーを辞めちゃったのである。
で、その2,3年後だったか・・・
Jリーグが発足するというニュースを見たときにゃ~、
「なんでサッカーを辞めちゃったんだよー!」
と、すっごい後悔をしてすっごく落ち込んだのである。
で、ますます落ちぶれる人生を歩むことになったのである。
が、それから数年後、空手に出会い、今があるわけであるが、
このサッカーを辞めてしまった後悔が、
今もなお、空手を続ける原動力になってる・・・
また、あのマラドーナに心底から憧れて、
その真似をしながら練習に励んだ日々が、
今もなお、達人に憧れて稽古に励む力になってる・・・
のである。
人生は、何が災いして、何が幸いするかはわかんねーのである。
で、ワタシはもう、ただひたすら、ひたむきに空手で生きるのである。
と、こんなワタシの人生に凄い影響を与えてくれた、
ディエゴ・マラドーナさんに心から感謝とご冥福をお祈りするのである。
咲 心太郎
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